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上村吉三郎北海道函館へ陰暦本月十七日より役員一人連れて行く事願

さあ/\尋ねる事情/\、遠く所という、遠く所に一つ理、長い間である/\。遠い所は一寸運び難くい。そこで事情始め掛けたら、皆同じ一つ理、結構な人と思う理ある。なれどとんとあれこれと言う。折角一時道無くばならん。それ道とんと計り難ない。見難くい事情始め掛けたら、堅く出来る事情、篤と事情始め掛けて貰いたい。順々篤と実の心改めて、それより安心々々治めて所尋ねる処、こうと真実というは許し置こう/\。
【説明】
(1) 敷島の北海道の道は明治二十五年十一月、敷島上村会長が信者の奈良県磯城郡潮瀬村の森本喜三郎氏と山辺郡三島の清水熊吉氏を北海道へ派遣した時より始まる。このおさしづは明治二十六年上村氏が、随行清水熊吉氏を連れ北海道巡教に出る際の伺いで、この時函館より札幌方面へも回った。巡教後この年十二月森本氏を担任に函館出張所を設置した(「みちのとも」昭和四十年七月号参照)。 (2) 北海道函館と言えば、ぢばより遠隔の地である。その函館に布教所という一つの理ができたことは、長い間待ち望んでいたことである。遠い所へは、なかなか運びにくいものである。 (3) 北海道の道は、ぜひつけなければならぬ。とはいえ、道がつくかつかぬか予測できぬ。困った事情が起きても将来道が固まるから、とくと心治めて出向いてもらいたい。前にもまして真実の心に改め、それより安心の心を治めてきてもらいたい。どうでもという真実の心に許しおこう。
【摘要】
対内出張として ①本部より地方・分教会へ出張の場合 ②上級教会より地方・部内教会へ出張の場合 の二つがあり、①について前項で検討したので、②について考察した。  上級教会より地方・部内教会へ出張する場合、出張理由としていろいろの理由がある。  矢追氏が九州布教に出向く(二六・四・一九)場合のように、地方へ布教のため出張があり、清水氏が播州講社巡廻(二一・八・六)し、諸井氏が国々先々へ巡廻(二四・七・五)のため出向く場合のように、地方信者育成のための出張がある。また甲府支教会長事情に付、諸井氏が出張(二九・一二・六)し、北陸支教会治め方に付、平野氏が出張(三二・一〇・一二)したように、教会事情治めのため出張する場合がある。  このような種々の理由によって地方・部内教会へ出張するに当たって、出張員はどういう心がけで行くべきか、巡教員はどうあるべきか、についておさしづを検討すると、 (1) 取次人はをやの代理である。講元というのはこうのうの理を積んだ者をもって講元というのである。 (2) 親神は子供の陽気ぐらしを待ち望み、限りない親心にあふれている。取次人はこの親心を心として布教に、信者育成に、教会事情治めに出向いてもらいたい。 (3) おたすけに出向く際には、親神がついて歩くも同じことで、どんなことでも守護しよう。  以上は上級教会より部内教会への出張・巡回に当たっての心得であるが、これはあながち部内教会への巡教・出張にのみ言えるものではなく、すべての出張についても言えることである。  最後に、以上述べてきた対外出張・対内出張を通じて、全体の要約を述べると次のごとくになるかと思う。  本部より地方分教会へ出張する場合、また上級教会より部内教会へ出張する場合のいずれも、現在では「巡教」「修理巡教」という言葉を用いられているようであるが、おさしづでは出張・派出・巡廻・巡教という用語を用いている。ただし巡教という語を用いたのは少ない。  なお明治三十五年に十教区を置き、教区ごとに取締員を任命し管内監督に当たらせた。また明治三十七年に本部より地方分教会修理巡教のおさしづが出ている。この二つは本項「出張・巡教」を扱う場合に欠かせぬ重要な事情であると思う。しかし、この項では「全国に十教区を置く事の願」(三五・七・一三)および「十教区取締員の事情に就いては先々へ出張のお許し願」(三五・八・一〇)は、既出のため載せなかった。  対外出張・対内出張のすべてのおさしづに現れた親神の思召しは、次のごとく仰せられているようである。 (1) 人間は親神の懐住まいをしている。まず人間は親神の神意ー天の理を心に治めなければならない。 (2) 親神は「反対するも可愛い我が子」(二九・四・二一)という広大無辺な親心である。したがって、一方が立つだけでなく双方が立つよう、兄も育て弟も育てるよう(三五・五・一八)勤めてもらいたい。親心とは理に厳しい反面、情愛に厚い心であり真実誠の心である。 (3) 取次人はをやの代理である。一人たすけたら万人たすかるのである。おたすけ人には親神がついて歩くも同じことである。ついては取次人、おたすけ人は自ら心を澄みきらせ心を浚えることが肝心である。

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