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南海分教会部内金山村の件に付願

さあ/\だん/\事情々々、いかなる事情と思う。どういう事情、最初前々尋ねたる事情以て運んでこうなる。よう事情聞き取れ。これで十分の道である。今度さしづを以て運んだる。知る知らん。いかなる事情思うて見よ。身が入るは守護幾日こうしたさしづを貰うた。これまでよう重々運んだ処は受け取る。なれど心を静めるは神の道、年々再々見えるが神の道、よう聞き分けてくれ。

押して願
さあ/\治めてくれよ。静めてくれ。残念の処は無い。どういう事で言わず治めやろう。これくらいでさしづ小さいが、一度の処で鮮やかのさしづ/\。どういう理であろう思う理、その日最初ならん処、どういうものでこれだけで十分運べてある。泣くでない、悔やむでない。運べてある程に。
【説明】
(1) これまで運んだところは十分に受け取る。なれど、心静めて穏やかに治めるのが神の道である。その理は年々に見えてくる。 (2) 道の理の上から心を治めてくれ、静めてくれ。そうすれば残念のことはない。 (3) これまで運んだことで、十分目的は達せられている。敷いたり悩んだりすることはない。 おさしづにもかかわらず山田会長は、どうしても告訴を思いとどまる心になれないでいると、不図腰を痛めて歩けなくなった。そこでおさしづを仰ぐと、夜が明けたような晴れやかな気持ちになり、同時に、嘘のように腰痛が治ったという(「南海大教会史・第一巻」参照)。
【摘要】
(1) 官憲の干渉は教内を掃除するふしであって「泥水をすっきり流してしまう」ようなものである。したがってそれは官憲の取り調べを受けているのではなく、親神が「取り調べさす」のである。 (2) 官憲だからと言って、決して、おめ恐れることはない。この道は何もないところから、幾多のふしを通って今日の道になっているのである。 (3) 官憲に対する時は、この世始めた元なるぢばに元のをやが踏ん張っているのだ、ということを心に治めて行くがよい。 (4) この道に反対する者も、親神の目から見れば、皆可愛いわが子である。したがって、お互いは皆、神の子であり兄弟である。たとえ取り調べに当たって、拷問を加えるような仇と思えるようなものに対しても、兄弟の理を治めて告訴などしてはならぬ。 (5) 官憲が、いかんと言えば「ハイ」、ならんと言えば「ハイ」と言うておけ。それによって、一つの理が定まるのである。神はどんなことも見ている。 (6) 教えの理を曲げてくるが、曲げたら曲げただけ、今後道の理が伸びて行くのである。 (7) 官憲の干渉によって教義や祭儀の変更を余儀なくさせられるが、子供可愛い親心の上から一時許すのである。 (8) 官憲の干渉を受けた時こそ、お互いが真実の兄弟であるという理を心に治めて、道の上に「一つの理の台」を作るべき大切な時である。心さえつなぎ合えば、道は開けて行くのである。

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