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寺田半兵衞娘コウ三年以前に縁付きの事御止めに相成りしに付、この度教会相続のため養子を貰い度く願(増野正兵衞取次にて願いのおさしづ)

さあ/\尋ねる処/\、さあ/\だん/\身上から尋ねる。これまで古き話に諭したる。一寸にはどういう事であった。今一時尋ねる処よう聞き分け。内々という、事情という分からん。分からん事情であろまい。内々頼り無き事という。先々一人のためは先々ためは判断付かんと言う。よう聞き分け。一人のためと言うて一日の日から今日の日、年限内々治め方、どちらからどうしてよかろ。どうも判断付かん。日が経つ月が経つ。よう聞き分け。内々処にて、誰はどう彼はどう、日々始め掛けばどんな理も治めある。内々障り付く。急くという、急かず、日々処から始め掛け。内々これと始め掛け。内々談じ又後々分かり難ないなら尋ね出よ。始め掛けたら始まる。始めたら治まる。内々案じる。始め掛けたら治まる。これ諭し置く。これ聞き分けてくれ。

押して、コウに養子を貰い受け致しましょうか教会の治め方を致しましょうか
さあ/\人の処という、又始め掛ける、定め掛ける。深きの理諭す。善き/\諭し、悪き道諭さん。案じるは余儀無き事情。案じる事一つも要らん。

押してたきの事情願
さあ/\道を始めば又道始めると諭したる。もういつまで同じ事ではならん。だんだん理が含むばかり。どうもならん。始め掛けたら治まる。それ/\内々心治まる。よう道伝えてくれにゃなろまい。
【説明】
(1) 寺田半兵衛氏 本部員・網島分教会初代会長。 二女コウ姉に養子を迎える話があり伺う。明治二十四年五月二十一日のおさしづに、当時十九歳のコウ姉について「十九才々々々は思わくがあるので、何処へもやるのやないで」と他家への縁付きをお止めになった。そのため教会相続のため養子をもらいたいと伺った。 (2) 以前(明治二十四年)にコウのことは諭してある。家々の事情をどう運べばよいかわからぬと言うが、わからぬことはあるまい。コウ一人のために行く末を考え判断がつかぬというが、よく聞き分けてもらいたい。コウのためにと言うて、以前にさしづした日から、教の日まで年限も過ぎた。内々治め方をどうしたらよかろうと言う。内々で誰はどう彼はどうと言わずに、日々寺田家の「家族亡ぶいんねん」を自覚して通るならどんな理も治まる。内々の者が身上障りになり、心急ぐことも起こる。しかし心を急がず、日々お道の心で通ってもらいたい。 (3) 人それぞれである。いま事を決めようとしているが深い理を諭そう。悪い諭しはしない。案じるのは無理も無いが、案じることはいらぬ。  結局、コウ姉は、のち石だけへ嫁した。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。  ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。  おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。

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