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諸方より雨乞い願いに来るに付、心得のため事情願

さあ/\尋ねる事情/\、尋ねにゃならん。尋ねにゃ分かろまい。尋ねる処理の諭し、これまで事情皆話伝えてある。修理肥という、修理肥はこれまで無けにゃならん。修理肥はこれまで始め掛けたる。どんな処どうしてもこうしても、成らん処どうもならん。どうでも成らん処、芯から頼まにゃならん。芯から幾日いつにと仕切りた話出け難ない、語り難ない。人間たる処、たすけ一条、何処へどうしてなあ、何処へどうしたらよかろ。何処へ運んでも救からん処よう聞き分け。何処から言うて肥仕方無い。人間痛み悩み、ならん/\中から運び、身の処自由ある処、これ話してくれ。雨が降らん/\。どれだけどうしても、祈祷しても自由ならん。よう聞き分け。一時救けにゃならん。救けにゃならんのに、たすけ何故無い。善き理ばかり通りて居る者ばかりではならん。話聞き分け。これまで伝えてある。どれだけ成らん/\中、珍らしたすけ頼めば、一つ事情頼めば一つ印、何程頼めど、善き理ばかり頼めば叶うまい。そんなら雨乞いする、雨あると言う。これどうもならん。これだけは話して置こう。よう聞き分けてくれるよう。
【説明】
(1) 修理肥として、これまでにもいろいろと教えてあるが、どうしても、こうしてもご守護いただけなくて、どうも成らんと言っている。どうにも成らんところは、この世を始めたをやに心の真底から頼まなければならぬ。真底から頼まなければ、幾日と仕切った守護の話をすることができない。 (2) 人間が病み患う場合、成らん中から、つくし運ぶことによって、自由のご守護を頂いていることを話してくれ。雨が降らん、どれだけ祈祷しても神の自由をいただけないと言っているが、よく聞き分けよ。困っているものをたすけにゃならんのが道である。たすけにゃならんのにたすけがなぜないかと言うと、人間が都合のよいことばかり考えて通っているからである。 (3) どれだけ成らん中でも、珍しいたすけを頼めば、一つの印を与えてやりたいのがをやである。しかし何ほど頼んでも、都合のよいことばかり頼めば、かなえてやることができない。雨が降らんので、雨乞いさえすれば雨が授かるという考えでは、どうもならん。
【摘要】
雨乞いについては、明治十六年に勤められた雨乞いづとめ(「稿本天理教教祖伝」258頁参照)で、不思議なご守護をお見せいただいているが、各地の教会でも雨乞いづとめを依頼され、それについておさしづを伺っている。それを要約すれば次の通りである。 (1) たすけを与えてやりたいのがをやであるが、都合のよいことばかり頼んでいるようでは、かなえてやることができない。雨乞いさえすれば雨が授かると考えてはならない。 (2) 願い通り雨が授かるのは、まだ先のことである。すなわち世界一列の心が澄み、かんろだいが建設されてからのことである。 (3) 雨は天のあたゑである。親神が雨を止めているのではない。自由の守護は日々の皆の心の理にある。このことを聞き分けて勤めよ。 (4) 芯から頼まなければ、幾日いつにと仕切った守護がない。 (5) 「その場限りの真実」と「いついつの真実」、「その場だけの理」と「何でもという真実の理」というように勤め方もいろいろであるが、勤め方によって雨が与えられることもあれば、与えられないこともある。 (6) 所々の教会で雨乞いづとめをし、心をつくすように。 (7) 教会における雨乞いづとめの勤め方。 ○「一つの話」すなわち雨乞いづとめの理を伝えてつとめにかかれ。 ○教会の内らで朝一座、夜一座勤めることを許す(領内は回らない)。 ○雨乞いづとめの言葉だけ許す。  おかぐら道具は、ぢばで勤められる場合に限る。 ○三日なら三日と日を切って願う。印のない場合は「掛け直し」をする。長く日を切ってはならない。

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