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春野利三郎出直し結構御守護を蒙り有難く御礼申し上げ、就ては後継ぎの子これ無きに付、本人も喜市を以てと申し、一統よりも申さるに付、喜市をもって春野の名前人に致しますの願

さあ/\/\/\、尋ねる処/\、いかなる事も尋ねるであろう。あら/\の理は分かりあれど、深い処は分かりあろうまい。誠一つの理を運べば、先々心に浮かぶと言う。この度の理と比べば十分の理も鮮やかという。行く先こういう理とは分かろうまい。なれど十分心に治めた印浮かぶである。又一つ後々伝わりという。それそれ心だけの理を遺して出直して居るから、そこは心置き無う運んでくれるよう。又押して、皆談示の上神戸春野の内をこちらへ引き越し度く、母があちらに居ればこちらが気に掛かり、こちらに居れば神戸の方が気に掛かり、正兵衞も心に掛かりますから、こちらへ一所に暮らさして貰いますと願さあ/\尋ねる処/\、もうどうするもこうするも言うまでやろう。前々諭し元一つの理である。めん/\もよう思案するがよい。いんねん事情という。まあ暫くの処、小人育てるようなもの。一時の処頼み置く/\/\。

又十日に此処へ帰りまして、もう内へ帰ろうと思う時に、石にけつまずきまして、右親指怪我致しましたが、何か違いでありますや願
さあ/\尋ねる処/\、一つ心にひょと、側まで帰りてやれ/\と思う際、よう聞き分け。辺所一つの事情ありては、どうもなろうまい。内々ならばこそと言う。些かなる事尋ねにゃならん。ほのかの事情であろう。盛んに成れば世界聞いて来う洗うて来うと言う。洗いなれば洗うという心で来れば、それは洗える。なれど飛び入りの事情では、とても洗う事出来ようまい。又洗わす理も無い。これだけ一つ諭し置こう。
【説明】
(1) 何事も誠真実の心で運ぶなら、先々おのずと心に浮かぶものである。今回の出来事と比べれば後継者問題は、実に鮮やかな守護であろう。爾後このように順調に事が運ぶとは予想もしなかったであろう。心に治めただけ、心に浮かぶのである。また、あとあと伝わるのである。利三郎は大いに心残りを抱いて出直ししているから、そこは心置きなく十分運んでくれるよう。 \n\n (1) 春野利三郎氏 本部員・増野正兵衛氏夫人いと姉の兄。 (2) お道の働きの上に陰の力となって、遺産はなくても心だけの理を遺して出直しているから、心置きなく継がせるように。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。  ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。  おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。 \n\n (1) 出直しはすべて、その人のいんねんに基づいて、親神のなさることである。出直してもまた、この世に生まれかわらせていただくのであるから、この事情を一つのふしとして神意を悟り、よくそれを心に治め、たんのうして勇んで通ることが大切である。 (2) 親神は早く出直すところを、その人の心定めに応じて、引き伸ばしてくださったり、また身代わりの出直しをさせてくださることがある。いずれも親神の守護によるものである。 (3) 出直しという事情に際しては、お互いに淋しい思いをさせず、皆が心を寄せ合い、たすけ合っていくことが大切である。 (4) このお道は将来末代の理であるから、どんな難儀不自由の中も、将来を楽しんで勇んで通っていくことが肝要である。

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