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永尾楢次郎の内守の事願

さあ/\尋ねる事情、もうそういう事はさしづまでのものである。なれど知らず知らず道の者すればどういう心である。暫く内々引き入れて家内同然、事情知らず知らず事情成るだけ事情、何も難しいようなもの、話のようなもの、これ第一。そこで難しい怪しいなれど、一々心に持たして心にするは第一、間に合う間に合わん言うて了えばそれ仕舞。なれど見分けるは道の事情、又いんねん伝えての事情である。先ず暫くどうこう改めずして、心治めてやるがよい。
【説明】
(1) これまで守・手伝いとして家の中に入ってもらい、家族の者同様にして過ごしてもらって来ていた。ところが事情治まらんことが出来してきたと言っている。そのことから守・手伝いとして間に合うとか間に合わんとか斟酌しているが、そう言ってしまえば、それだけのことに終わってしまう。道の上からして大切なことは、こうした事態にいんねんの理も見分けて、本人の心も治めてやるよう配慮をすることである。
【摘要】
ここに雇用について見せていただくのは、いわゆる雇用の問題一般ではない。見出しの個所に明らかなように、家庭上の事柄にかかわる一つとして雇用の謂である。おさしづ割り書きでは、こうした事柄を指す者として“雇い人”“手伝い”“乳母”“子守”等の語をもって現われているのが大部分であるが、そこにうかがえるところを要約させていただくと、およそ次のごとく言えるかと思う。 (1) 手伝いの人を入れねばならぬほどに家の中が忙しくとも、不足の心をもってしてはいかんので、親神の守護の理に、よく心を致したたんのうの喜びを治めていることが、まず大切である。 (2) 単に手だすけになる、家事がたすかるとの思いではいけない。また、その人が単に間に合うとか間に合わんということで遇すべきものではない。その人を大切と思い、慈しみ、可愛がり、育てるという心が大切である。 (3) 手伝いの人が何度も出入りをして変わってもらわんならんとか、また、その人に身上・事情の徴をみせていただくなどについては、家の中の者も、よく理の治まりをつけてかかる心得が大切である。 (4) すなわちいんねんの理も聞き分けて心治まる、また治めてやる在り方・配慮をしなくてはならない。 (5) なお家庭の中に雇い人を受け入れるについての基礎的な心得としては、“皆同じ理”を心に治めていることが大切である。すなわち来てもらう側の人々も、来てくれる側のその人も、もともと親神の子供としては同じ理・一れつ兄弟の間柄にあるという理を、心に治めていることが大切なのである。

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