おさしず検索
教長歯痛に付御願
さあ/\/\事情も無ければ何も無い。事情も無い何も事情無い。尋ねる事情あるまい。尋ねる事情はあれど、一寸身の処どういう事あるやら何も分からせん。どんな者でも分からせん。分かりてある。一寸急いで世界の事情、あれこれ一つ事情これ第一。これは言うまで。これまでどんな者もこんな者も疑いばかり。一時これまでの処どんな者でも取り消して了わにゃならん。潰さにゃならん。これから先どういう事で通りてよかろう。遠き所でいかず、近き所雨風も厭わず、ばら/\/\立ち越して話し合い、この道何年前であろう。古い事やあろまい。これまで分からん。これまで道の件ん変わる/\と言うや、どういうものと思う。身の処から不思議ありて尋ねる。尋ねば諭しという。尋ねたらどんな話も伝えと諭すと、何もこれどんな理道今の道、是非々々の道通りて居る/\。成らんから放って置いては分からん。分からねば、それで/\は折角艱難苦労の道失うて了う。そこで、これまでと道の件ん変わりて通りてある。どんな話も見て居る者ある、聞いて居る者もある。この道まあ理でなりと付けにゃならん。今の処道々の理で、世界からけなるてならん。道はこれは言うまで艱難、何故人がけなるがる。思い/\通りて今日の日、天という。天の理掛からん所無い。その道知らず、潰そう/\。世界よう/\道付け掛けたる。年々信者増えて、あちら理が下りる、こちら理が下りる。所々何ぼう来るとも分からん。これまで一寸話伝えたる。怖わいから話出けなんだ。これまで戦うたようなもの、どんなもの見ても恐ろしい。一寸聞いても怖わいと言うて通りた。あちらへ隠れ、こちらへ隠れ、たゞ一つで皆通りたる。これから先通すは胸一つ、誰の事情であろまい。よう聞き分け。思うようして暮らすは十分。これからこれまで艱難知ろまい。真綿の中で埋ってあるようなもの。長い道や/\。これまで長いよう思た道、欠けたらどうでも恐ろしいようなもの。恐ろしいと言うやどうであろうと思う。恐ろしい道あろまい。なれど、心の理治まりてなけりゃならん。どういう事言うやらめん/\思い立ったる。めん/\よう聞き分け。一寸道一人一つの心借りて通りたる。その事情天を捜しても無い、地を捜しても無い。後も分からん、先も分からん。遠い所から一時頼りと成りたるは、艱難苦労。艱難分かるか分からんか。これまで見れば驚いた日あろう。それから見分けてみよ。こうして話し掛けたら、分からんと言うや、四五日経ったら席始め掛けたら談じ、尋ねたら理知らそ。一日一夜の日以て話し掛ける。身堪えられんという事はあろまい。身上案じる事要らん。なれどどんな事聞き分けにゃならん。これからたゞ道一つ治まり、一つめんめん世界思わくどういう者招かにゃならん、こういう者招かにゃならんという処、先に廻して置かにゃならん。これだけ話し掛けたら分かるやろう。よう聞き取って置け。
【説明】
教長様、初代真柱様。 今迄は艱難苦労の道であったが、これからは結構な道になる。しかし心の理が治まってなければならない。四、五日たって、席(別席・本席)はじめかけたら良く談じ合い、尋ねたら十分理を知らす。身上は案じることはいらないが、どんな事も聞き分けなければならない。これからただ道の治まりが大切である。世界並の思惑から、どういう者招かねばならぬ、こういう者まねかねばならぬということは、先にのばしておかねばならぬという意味で、歯痛はお屋敷に教外より人(篠森乗人)入れるについて、一手一つを欠くようなことがあってはならぬと指示されたのであろう。
教長様、初代真柱様。 今迄は艱難苦労の道であったが、これからは結構な道になる。しかし心の理が治まってなければならない。四、五日たって、席(別席・本席)はじめかけたら良く談じ合い、尋ねたら十分理を知らす。身上は案じることはいらないが、どんな事も聞き分けなければならない。これからただ道の治まりが大切である。世界並の思惑から、どういう者招かねばならぬ、こういう者まねかねばならぬということは、先にのばしておかねばならぬという意味で、歯痛はお屋敷に教外より人(篠森乗人)入れるについて、一手一つを欠くようなことがあってはならぬと指示されたのであろう。
【摘要】
口に関するさとしは、内々の治まりについてさとされているのが多いが、歯も口中にあるものとして、内々(家内、教会、お屋敷のうちら)の治まりについてさとしていられるものが多い。その治まりは、各自がいんねんを自覚して勝手気ままをせず、よくたんのうの心を治め、神意を中心として一手一つになる事によって得られるのである。歯はかみ合ってこそ咀嚼ができるのである。従って一本では如何に丈夫であっても役に立たず、かえって邪魔になるかもしれない。合わせることー神意に合致すること、又お互い同士の心を合わせること(一手一つ)ーを指示され、又各自のいんねんを十分にかみこなす(納得する)ことを指示されていることは、身体の機能と関連して、さとしの妙味というべきであろう。世界一れつの人々のたすけ合うところに、不思議な親神様のおたすけをいただくことが出来、かくて陽気ぐらしがこの地上に実現されると教えられる本教信仰生活上、一手一つの大切なことは今更申すまでもないことあろう。
口に関するさとしは、内々の治まりについてさとされているのが多いが、歯も口中にあるものとして、内々(家内、教会、お屋敷のうちら)の治まりについてさとしていられるものが多い。その治まりは、各自がいんねんを自覚して勝手気ままをせず、よくたんのうの心を治め、神意を中心として一手一つになる事によって得られるのである。歯はかみ合ってこそ咀嚼ができるのである。従って一本では如何に丈夫であっても役に立たず、かえって邪魔になるかもしれない。合わせることー神意に合致すること、又お互い同士の心を合わせること(一手一つ)ーを指示され、又各自のいんねんを十分にかみこなす(納得する)ことを指示されていることは、身体の機能と関連して、さとしの妙味というべきであろう。世界一れつの人々のたすけ合うところに、不思議な親神様のおたすけをいただくことが出来、かくて陽気ぐらしがこの地上に実現されると教えられる本教信仰生活上、一手一つの大切なことは今更申すまでもないことあろう。