おさしず検索


刻限御話

さあ/\一寸これ話し掛けたで。やれ/\だん/\話が積もりて、これまで/\よう/\の事でなかったであろう。今度々々年が明ける。始まり/\、もうこれ、まあ/\一寸真似をしてやれ。珍しやなあ/\、さあ/\始め掛けたる古い道。新という、新の正月は済んだ。古い正月了うて、正月三十日長いようなものなれど、言うて居る間に二月、さあ始まる。どういう事始まる。一寸早く先に諭し置こう。今度という今度は、始まりは治まり方とも言う。どうでも今度は難しい。世界曇る日が曇る。思わくの道が遠い。思やんをせにゃなろまい。どういう風が吹くやら、分からん。春風の楽しみの中に、空々夏冬無きの風、あちらでもむら/\、こちらでもむら/\。秋風や冬風は、とんとどうもなろまい。さあ/\、その風の迫りという、どういう道、言うも一つの道、聞くも一つの道であろ。何でも一つの理が無くば治まろまい。早く道を知らして置かんならん。一日も早く、国々所々道治め掛けたる。早く一つの理を治めてくれ。いかなる理も見え掛ける。道が変わる。秋風かと思えば冬風、あちらでもむら/\、こちらでもむら/\。さあ道を分けるで。早く急ぐで。こんな所で何を言うと思うやろ。一寸譏りはし、あちらこちらの道、怖わい恐ろしい道もあろ。又始め掛けたの道もあろ。西を向いてはやれ/\、東を向いてはやれ/\。一つの道実の道がある。いつに出るとは分かろまい。年が明けたら出て来る、寄り来る事情に、どんな事持って来るやら分からん。どういう事も治めにゃならん。人が足らいでは、いかな談示も出来ようまい。名称一つの理を許してある。どういう事始まる。難しいてならん。うか/\きょろ/\した道やないで。いかなる日が出て来ても、めん/\世界集まる所、親里と言う/\。
【説明】
(1) このおさしづは「先に諭しおこう」とあるように、ご予言のおさしづと言われる。世界の事情として日清戦争、および神道本局の問題が主要点である。 (2) どんなことが現われて来ても、神の思惑に添う心と神の働きという「一つの理」がなければ、この世界の事情は治まらない。早く、これからどうなるという所、どうしたらよいという所を予め知らしておかなければならない。一日も早く、国々所々に始めかけた教会に、たすけ一条という神の思惑がわかるようにせよ。 (3) 「この年春の終頃から、次々と案件が重なって来たので、五月二十七日には、役員臨時会議を開いた。その後、本局官庁から、来翰があり、財政整理上臨時大会議を開催する、と申し送って来た。」(「稿本中山真之亮伝」178頁参照) (4) どのような困難な事情が起きて来ても、世界のすべての人が、それぞれに心を寄せる所はぢば・親里よりほかにない。このことを、よく承知して準備せよ。
【摘要】
世界の事情という言葉は、いろいろの意味に用いられる。一般的に言えばうちとせかいという対照において、対外的問題として対処すべき事情である。しかし、ここでは、もう少し限定して、世界にあらわれてくる大事情といった意味で用いる。  世界の事情は、親神のざんねんの現れとして、自然現象と社会現象とに分けて見られる。このうち自然現象については、この教理研究では「教会生活の出来事」および「教政」で研究されている。  社会現象については、いろいろの事情が見られるように考えられるが、ここでは戦争に関するものと、世界事情に対処する心構えを教えられた、とみられる刻限のお諭しの若干を挙げた。 (1) この世界を治めているのは親神であって、その思惑は神一条の道・たすけ一条の道(つとめやさづけ)によって成就されていくのである。 (2) 神一条の精神によって事情を治める。 (3) 心のほこりを払い、心を澄まして親神の思召しのままに対処する。 (4) 事情は旬によってあらわれるので、その旬の理によって事情を見る (5) どんな困難なことが起きても、爼板とも台ともなる、という大きな心構えでなければならない。そのためにはたすけ一条ということを、よく理解する必要がある。 (6) 事情をいかに見るか、いかに対処するかということについては、おふでさきに書いてある。

TOP


お道のツール