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本部西側道の事に付足達源四郎地所云々の事願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\尋ねる処、さあ/\どんならん。何も分からんからや。何ぼうでも欲しい。金どれだけで道買うと言わん。それは何とも言わん。年もこうなりて集まりたる。一時どうせにゃならんこうせにゃならん、こら言わん。成るも成らんも時節。してみせる。これまでだん/\年限相当という事情、思わく通り高い安いこら言わん。金出さんならん金は、多い言わん。こうがよかろうどうがよかろう、さしづこうや事情と言う。そら暫くの間やによって、事情委せ置くによって、これさしづに及んで置こう。

同日同時に江州に於て教祖ふでさき云々事情に付願
さあ/\尋ねる処、まあ一寸思てみれば、あちらでもこちらでも皆一つの処、善き事なら十分である。こうしたら道の妨げ、これどう成ろうと思う。よう聞き分け。事は安心なもの、皆あちらからもこちらからもこういう事、中に年限の理から成り来たるもの、そら応法道、その処談示に委せ置こう。これと/\仮名な事、事情委せ置こう。さあ/\然るよう/\。
【説明】
(1) 本部西側の道路は足達家の地所であり、本部では、それを買い入れたいとさしづを伺った。 (2) 土地はいくらでも必要である。幾ら幾らの金を出して道路を買えとは言わぬ。年限も経ち地所も広まった。一時どうせよとは言わぬ。時節を待つがよい。時節がくれば思惑どおりしてみせる。これまでだんだん年限相当の守護をいただいているであろう。こちらの思いより高い安いと評価はしない。出さねばならぬ金なら多い少ないは言わぬ。あれこれ気遣いしたり、さしづでこう言われたから、こうだというのも、しばらくの間のことだ。事情の処置は任せるから善処してくれるよう。
【摘要】
本部の地所に関するおさしづを通覧すると、次のような点に神意が現われている。 (1) 神のやしきの地取(範囲)は、既に神意として定まっているということ。かねがね教祖は「八町四方は神のやかた、奈良初瀬七里は宿屋ばかり」と仰せになっており、遠大な親神の思召しが着々実現されていくことになる。 神のやしきの地取りはすでに定まっている (明治22・10・20) 縄を張って何間何尺定めたるようなもの (明治26・6・13) 元のやしきへ成って来る (明治23・4・24) 年限だん/\重なれば八町四方になる (明治27・11・17)    というようなお言葉に、そのことがうかがえる。 (2) 道の子供たちが親神を慕って帰って来るぢばであるゆえに、広い地所が必要である。教祖十年祭を迎えるに当たって教祖殿建築につき伺うと、  親の内は地所さい広がりたら十分。子供戻るぢば無うてはどうもならん (明治28・3・10) と言われ、これより詰所がぢばに建築され賑やかとなる、広い地所を神はお望みである。  広く要る/\、急くも神、抑えるも神の働き (明治22・8・18) (3) おやしき拡張のための地所買い入れは、申すまでもなく親神の親心によってご守護をいただくのである。  地所集め掛けたる処、大抵々々もう少しの処、直きに集めさして了う (明治28・11・14)  道の理運んで万事の処心さえ持って働きさえすれば、どんなことでもさしてみせる (明治33・4・20) (4) おやしき拡張整備のための土地購入は急いではならぬ。年限によってご守護をいただくのである。  年限という処から、ぼち/\掛かれば成る (明治34・2・10)  成程という処から何でも及ばす。年限の理を持って及ばす (明治32・1・15)  大木の大きくなるようなもの (明治28・8・19) また、旬がくれば口を開いたように、鮮やかに順調よくご守護をいただく、とも言われる。教祖五年祭(明治二十四年)を迎えるに当たって、その前年のさしづには、 広くぢばが要る。要るというて前にも諭したれど、やしきの取りようもないと思うやろう。なれど一つ口が開けたら皆寄り来るであろう。(中略)仮家普請差掛普請、一寸始め掛けた (明治23・6・21)    それは日覆いを取り除けるようなものだと言われている。 (5) 土地買い入れについての人の心の在り方はどうであればよいか、と言えば、この点については、  大層々々は受け取れん。大層してはたすけ一条何もならん (明治33・3・16)  かけ合いなら何時でも許し置く。尋ねるまで。大層の処世界にも成らん (明治32・1・15) しかも大切なことは、各人の発意によるものであって、無理なことは神は受け取れぬ、と言われている。  運ぶ尽くす理は受け取る。(中略)しようまいと思たて、出来掛けたら出けるで (明治25・6・20)  何にも進めるやない、頼むやない (明治22・10・23)  いずれ広くならにゃならん。(中略)人の心によりて心一つ成るものや (明治34・11・13) ――親神の深い思惑によって、親神のご計画が着々実現されつつあることに間違いはない。かつ、道の普請(建物の場合)は仮普請で、更に将来へ向かって発展する一過程における普請であることが特徴的で、道の子供たちの勤めは、一日も早い親神の思召し実現に努力することである。  先々育てて成人したら、どんな所からどういう事出けるやら知れやせん (明治28・11・14) と、非常に子供の成人に期待をかけられている。そのご期待に応えるには、どのように努めればいいか、この点が最も肝要なところであろう。

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