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飯降まさゑ縁談の願
さあ/\尋ねる処/\、尋ね一条/\、事情尋ねる処、いんねんなる/\いんねん話しある。思わくどれとこれと、話どうなるも分かろまい。縁談話理が分かりよう処分け。白きもの白き理、色の話、どんな話、大変間違う。取り違い、思わくいんねんの話よう聞き分け。事情こう事情始まる。何処にいんねん分かろまい/\。伏せ込んだる理集める。成程と言えば、成程と言えば理か。いんねん難しい理わたりやうまい。皆一つこれまでどういう、皆いんねんの話である。立つも立たんもいんねん。深いいんねんでも、日々の理が無くば理が消える。どんないんねんもあるとも分かろまい。どうやろ、こうやろ、何程さしづどうならん。白き話、白きものを以て、理を以て理聞く。理無く何程と不安なようでは結べん。どんな事も聞き分け、見分け出けねばならん。こうも出来て、いんねん運ぶまでのものである。
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さあ/\話し掛けたる処、よう聞き分け。どうなるもいんねん、こうなるもいんねん、どんな心と心がある。何程どうしてやりたいと思うても行かんがいんねん。一寸行かん。繋いで日々の処いんねん、出来るもいんねん、成らんもいんねん。どうしてやろ、こうしてやろうと言うもいんねん。あれどうやろうと言うもいんねん。一寸難しい。互い/\の心を寄せるから、末代のいんねん。あの者偉いと思うとて、人の心という理がある。これから一寸理を聞き分けてくれねばならん。
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さあ/\話し掛けたる処、よう聞き分け。どうなるもいんねん、こうなるもいんねん、どんな心と心がある。何程どうしてやりたいと思うても行かんがいんねん。一寸行かん。繋いで日々の処いんねん、出来るもいんねん、成らんもいんねん。どうしてやろ、こうしてやろうと言うもいんねん。あれどうやろうと言うもいんねん。一寸難しい。互い/\の心を寄せるから、末代のいんねん。あの者偉いと思うとて、人の心という理がある。これから一寸理を聞き分けてくれねばならん。
【説明】
(1) 郡山の平野楢蔵が中にはいり、飯降まさゑ姉と川久鉄蔵氏との縁談が持ちあがった時に伺ったものである。 ちなみに川久保氏の父親は雅楽に堪能な人で社会的にもなが通っており、郡山の教会では、この人から雅楽の教授を受けていた関係で出てきた話のようである。 (2) どうなるもこうなるも、すべてはいんねんによって成り立っているものである。たとえば、いくらどうしてやりたいと思っても、いんねんがなければ、それもできるものではない。事が簡単に運ばないところを、何とかつないで日々を通るのもいんねんによるものであるし、物事ができてくるのも、また反対に成就しないのもいんねんの現れである。「どうして、こうして」と言って思案しなければならないのも、「あれはどうであろうか―」と言うのも、みないんねんのい然らしめるところである。ちょっとみると困難な問題のようであるが、互いに心を寄せ合うところから末代始まりのいんねんとなるものであることを考えなければならない。
(1) 郡山の平野楢蔵が中にはいり、飯降まさゑ姉と川久鉄蔵氏との縁談が持ちあがった時に伺ったものである。 ちなみに川久保氏の父親は雅楽に堪能な人で社会的にもなが通っており、郡山の教会では、この人から雅楽の教授を受けていた関係で出てきた話のようである。 (2) どうなるもこうなるも、すべてはいんねんによって成り立っているものである。たとえば、いくらどうしてやりたいと思っても、いんねんがなければ、それもできるものではない。事が簡単に運ばないところを、何とかつないで日々を通るのもいんねんによるものであるし、物事ができてくるのも、また反対に成就しないのもいんねんの現れである。「どうして、こうして」と言って思案しなければならないのも、「あれはどうであろうか―」と言うのも、みないんねんのい然らしめるところである。ちょっとみると困難な問題のようであるが、互いに心を寄せ合うところから末代始まりのいんねんとなるものであることを考えなければならない。
【摘要】
(1) 縁談には何よりも二人の心と心が寄り合い、通い合っていることが大切である。 (2) 神の理に基づいて事を決め、それを生涯末代までもと思い定めてかかることが肝要である。 (3) 縁談とはいんねんあって結ばれるものである。だから互いに心を寄せ合い、つなぎ合って、将来いつまでも治まっていくもと(基礎)をつくるべきである。 (4) 本人同士は言うまでもなく、双方の親をはじめ、みんなが十分に納得し「やれ嬉しい」という喜びの心の理が合っていることが大事である。そうしてこそ、その縁談は十分なまとまりを見ることができる。 (5) 人間思案の義理や都合から判断して、事を運んではならない。重要なのは互いに、真実の心を結び合うことであって形ではない。 (6) 自ら心治まっているのならば、独身であっても何ら差し支えはない。
(1) 縁談には何よりも二人の心と心が寄り合い、通い合っていることが大切である。 (2) 神の理に基づいて事を決め、それを生涯末代までもと思い定めてかかることが肝要である。 (3) 縁談とはいんねんあって結ばれるものである。だから互いに心を寄せ合い、つなぎ合って、将来いつまでも治まっていくもと(基礎)をつくるべきである。 (4) 本人同士は言うまでもなく、双方の親をはじめ、みんなが十分に納得し「やれ嬉しい」という喜びの心の理が合っていることが大事である。そうしてこそ、その縁談は十分なまとまりを見ることができる。 (5) 人間思案の義理や都合から判断して、事を運んではならない。重要なのは互いに、真実の心を結び合うことであって形ではない。 (6) 自ら心治まっているのならば、独身であっても何ら差し支えはない。