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郡山分教会へ岩崎吉三郎、小原亀次郎入り込みの願

さあ/\これ前々以て説いてある。成程と真実一つの理を積む者ある。今更前深き一寸暫く又と言う。思うよう使うてやるがよい。

同日、郡山分教会へ植田定吉、村田筆松、乾伊蔵、中川幾太郎入り込みの願
さあ/\尋ねる処/\、尋ねる処どんな事情これまで聞いて居る。今日からどうして頼み出でたる。ほのかの心を以て入る者もある。定めて入る者もある。ほのかの理聞いて定まる者もある。尽す者、もう大丈夫思う者、大いに妨げる者もある。今大抵何人尽さすだけ。日をも一つ/\理に理を回り、理に理を増す。善き理ある、善き理同し。置いて貰おうとて居らりゃせん。生涯の理頼み、働かして何も構やせん。思うよう働かしてやるがよい。
【説明】
(1) 郡山分教会へ青年岩崎、小原および植田、村田、乾、中川の諸氏入り込みについての願い。 (2) 教会入り込みに当たり、漠然とした気持ちで入る者、決心を固めて入る者、ちょっとの話聞いて心定める者、財産をつくし果たしたもの、教会へ入り込めばもう大丈夫と思っている者、大いに道を妨げる者などいろいろである。日数を一つ一つ積み重ねていけば理に理を増して、よい理が出て来る。よき理に更によき理がまわる。住み込んでも日々理を積み重ねなければ置いてもらおうと思っても置いてもらえはせぬ。一生、教会に住み込ませて適性を見て働かせてやるがよい。
【摘要】
親神の深い思惑から身上・事情にお手入れをいただき、道に引き寄せられ、更に一段の成人を望まれると、旬がくるや待ったなしに道一条にならざるを得ない。この道一条の具体的な形として、教会入り込み(住み込み)ということになる。  飯降伊蔵様はじめ、教祖のおそばにお仕えなされた道の先輩先生方は、はじめ道に引き寄せられて遠方から通われるうちに、だんだん道のご用も繁くなり、徐々におやしき入り込みとなられた方が多い。ここには、」その中のごく一部のおさしづを採録したに過ぎないことをお断りしておきたい。  さて伊蔵様は、元治元年入信以来おやしきへ通われた。 「丸九年という/\。年々おお晦日という。その日の心、一日の日誰も出て来るものもなかった。頼りになる者無かった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりて、よう/\髄いて来てくれたと喜んだ日ある。」(明治34.5.25)  飯降伊蔵様は教祖から親子揃うて早くおやしきへ帰ってくるよう、たびたびお言葉をいただかれたにもかかわらず、道のどん底時代のこと、秀司先生ご夫妻への気がねもあり、親子もろとも移り住むことは教祖にご心配をかけることになるとて逡巡せられたという。しかし明治十四年伊蔵様の家族の身上障り(伊蔵様の腰痛、二女まさえ姉の眼、政甚氏のにわかに口がきけなくなった障り)によって、いよいよ心定めせられ、伊蔵様ご自身が櫟本を引き払っておやしきへ伏せ込まれたのは明治十五年三月であった。伊蔵様五十歳、おさと様四十九歳の時である。かくのごとく伊蔵様は入信以来二十年間櫟本から通われ、その後おやしきへ伏せ込まれることになった。本稿の「教会入り込み」事情の中には、伊蔵様のおやしき伏せ込みについては触れていない。  ところで、教会入り込み(住み込み)事情に関しては、 一、 おやしき入り込み 二、 地方教会入り込み の二つに分けることが出来る。また、教会へ入り込みをする立場の者と、それを迎える側の立場とある。  ここで前掲おさしづによって要約すると、次のことが言えると思う。教会入り込みにあたっては、 (1) 一つの理(親神様の思召)を心に治めること (2) 元一日を忘れず将来末代道のご用に勤めさせて頂くという決心を固めること (3) 住み込み人は理を積み重ねなければ、教会に置いてもらいたいと思っても置いてもらえないこと (4) おやしきに入り込ませていただく者は、どれほどの理がある者でも、ぢばの理が心に治まらねば駄目になること (5) 入り込み人を迎える立場の者は、一つの理(親神の思召)を心に治めてそだててもらいたいということ このような点を心して通るよう仰せられているよう拝察する。これは道一条を通る者の心すべき点、すなわちいんねんの自覚とその洗いかえ、まただめの教えたるゆえんを、よく心に治めるという点に帰するものであろう。(金子圭助)

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