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日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願

さあ/\尋ねる事情、さあどういう事始まる。どういう事聞くとも分からん。やれ怖わや恐ろしや、分からん。何度の諭してある。事情はふでさきに写してある。今の間にも見えると伝えて、どうでも是非々々残念を現われにゃならん。ならん中の道から新しい道が見せ掛ける。どういうこうと思うた理を計り、こうしたらよかろう、さしづを以て一つの事情、これ第一の事件、第一話までの話であろう。ほんに出来たかいなあ、一つの心一つ治める。今一時の道は、怖わき恐ろしい道を通らねばならん。未だ柔んわりと諭する。それより人夫一つの理を以て一つ防ごう一つ抑えよう、大概もう世上の処、要らざる事やなあ、一つには道のため果たしてみよう、聞いたる道が出来て来た。大概の理は諭したる。これまでうか/\聞いてはならん。幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。多く話伝えて居る。一時早くの理に人夫と言えば一寸俺も/\と言う。これも道で一寸には集まる。今一時集まり難くい。一日一日迫り来る事情お前もな/\。一時の処は応法些かなる印までにして未だ/\治まらん。どうでも治めてみせる。遠く所へ出越す。大いの心を働くと言う。難しい理を尋ねる。さしづの理を以て掛かれば一つの道明らかと言う。これまでの話の理に心を寄せ、一時一寸の理を運び、一度二度未だ是非々々の道があるで。それ/\話詳しく伝えて、一時の道を通ってくれるよう。

さあ/\これ/\よう聞かにゃならん。一盛り俺も/\と言う。何でも無きものなれど、今日という日が来れば、一時の理に早いと言う。未だそれより些かなものどんな事、談示もせにゃならん、さしづも貰わにゃならん、という。


さあ/\押して尋ねる。話し掛けるである。皆揃うて尋ねば、連れて行かねばならん。確かなる理に及ぶやら、今一時の処は世上一つの理に持って、じいとして居るがよい。是非と言う、やれと言えば又一つ許さんでもない。
【説明】
(1)「この年二十七年に入って、急激に悪化しつつあった日清間の交渉は、夏になってついに決裂し、遂に干戈を交えるのやむなき事態に立ち至った。こう成って来ると、第一線に立つ兵士の精強も、さる事ながら、後方任務に服する軍夫にも亦、人材が必要である。そこで宗教的信念と人類愛に燃える天理教徒が、この任務に当たってくれるならば、真に申し分のない望ましい事であるが、と、当局から非公式に懇望して来た。  真之助は、戦争はもとより好む気ではない。しかし、事ここに至っては、第一線の兵士の心の支えともなり、又出動先の住民をも労わり、更に進んでは、たすけ一条の本旨を、海外に伝えるべき時旬の到来なりと思考し、この件に付、早速おさしづを仰いだ。」(「稿本中山真之亮伝」181頁参照)。 (2)神のさしづを伺って実践して行けば、神の思惑の道は明らかになって行く。これまで話したところを、よく思案することが大事だ。この際は少しだけ事を運んでおけ。一度や二度では治まらないので、将来まだ心を決めてかからねばならぬ事情が起きてくる。皆に話をくわしく伝えて、この場だけを治めて通るように。
【摘要】
世界の事情という言葉は、いろいろの意味に用いられる。一般的に言えばうちとせかいという対照において、対外的問題として対処すべき事情である。しかし、ここでは、もう少し限定して、世界にあらわれてくる大事情といった意味で用いる。  世界の事情は、親神のざんねんの現れとして、自然現象と社会現象とに分けて見られる。このうち自然現象については、この教理研究では「教会生活の出来事」および「教政」で研究されている。  社会現象については、いろいろの事情が見られるように考えられるが、ここでは戦争に関するものと、世界事情に対処する心構えを教えられた、とみられる刻限のお諭しの若干を挙げた。 (1) この世界を治めているのは親神であって、その思惑は神一条の道・たすけ一条の道(つとめやさづけ)によって成就されていくのである。 (2) 神一条の精神によって事情を治める。 (3) 心のほこりを払い、心を澄まして親神の思召しのままに対処する。 (4) 事情は旬によってあらわれるので、その旬の理によって事情を見る (5) どんな困難なことが起きても、爼板とも台ともなる、という大きな心構えでなければならない。そのためにはたすけ一条ということを、よく理解する必要がある。 (6) 事情をいかに見るか、いかに対処するかということについては、おふでさきに書いてある。

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