おさしず検索
朝鮮事件に付軍資金として金一万円献上の願
さあ/\事情を以て尋ねる処/\、どんな事情もそれ/\集まって、だん/\一日の日を以て協議とも言う、談示とも言う。されば事情にはよい事情と思うやろう。前々諭したる、些かな理と諭したる。一時の処は用いるがよかろう。
押して
さあ/\尋ねる処/\、それはまあ皆んな揃うた理に委せ置く。どうしたさかいどうと言うやない。一寸には愛想とも言う。愛想より理は無い。これ一つ諭し置こう。
押して
さあ/\尋ねる処/\、それはまあ皆んな揃うた理に委せ置く。どうしたさかいどうと言うやない。一寸には愛想とも言う。愛想より理は無い。これ一つ諭し置こう。
【説明】
(1) 前々から諭してあるように、これは神一条の道から言えば「些かな理」であると諭したる。その時その場の事情によっては用いてもよいであろう。 (2) そこは皆揃うた一手一つの心に任せおく。このようなことは、どうしたからどうなるというのではない。ちょっとには世上への愛想をするようなものである。愛想をするという以外に意味はない。 \n\n (1) 今の場合は適当にしけおけ、との意味。そこで押して、許可をお願いしている。 (2) どうしたから、どうという重要なことではない。愛想ということもあるので、そのつもりでしたらよい。愛想という以上の意義はない。
(1) 前々から諭してあるように、これは神一条の道から言えば「些かな理」であると諭したる。その時その場の事情によっては用いてもよいであろう。 (2) そこは皆揃うた一手一つの心に任せおく。このようなことは、どうしたからどうなるというのではない。ちょっとには世上への愛想をするようなものである。愛想をするという以外に意味はない。 \n\n (1) 今の場合は適当にしけおけ、との意味。そこで押して、許可をお願いしている。 (2) どうしたから、どうという重要なことではない。愛想ということもあるので、そのつもりでしたらよい。愛想という以上の意義はない。
【摘要】
寄付についておさしづでは、軍資金の献金と神道本局への寄付の二つについて述べられているが、両者は、かなり性質の違ったものである。 前者については「どうとも言わん」と仰せになり、道の理の上からは「些かの理」であり、世上へちょっと愛想をするようなものであると仰せられている。 後者については、本教がその教団の成立過程にあって、やむなく一時神道の傘下に籍を置いたのであるから、おさしづでは、これは他の事情ではない、内々の事情と思わねばならぬと仰せられ、差し出がましいことは控えねばならないが、よく真相を聞いて治めるがよいと仰せられている。 寄付について、その他のおさしづからうかがえることは、次の通り ○献金は皆揃うた一手一つの心に任す。 ○献金の名義は世間で一々細かく名前を出すが、道の上では欲を忘れ、心から献金しているはずであるから、代表名でよい。 ○みんなで談じ合いすれば、皆の心が集まって、どんなこともできる。 \n\n 世界の事情という言葉は、いろいろの意味に用いられる。一般的に言えばうちとせかいという対照において、対外的問題として対処すべき事情である。しかし、ここでは、もう少し限定して、世界にあらわれてくる大事情といった意味で用いる。 世界の事情は、親神のざんねんの現れとして、自然現象と社会現象とに分けて見られる。このうち自然現象については、この教理研究では「教会生活の出来事」および「教政」で研究されている。 社会現象については、いろいろの事情が見られるように考えられるが、ここでは戦争に関するものと、世界事情に対処する心構えを教えられた、とみられる刻限のお諭しの若干を挙げた。 (1) この世界を治めているのは親神であって、その思惑は神一条の道・たすけ一条の道(つとめやさづけ)によって成就されていくのである。 (2) 神一条の精神によって事情を治める。 (3) 心のほこりを払い、心を澄まして親神の思召しのままに対処する。 (4) 事情は旬によってあらわれるので、その旬の理によって事情を見る (5) どんな困難なことが起きても、爼板とも台ともなる、という大きな心構えでなければならない。そのためにはたすけ一条ということを、よく理解する必要がある。 (6) 事情をいかに見るか、いかに対処するかということについては、おふでさきに書いてある。
寄付についておさしづでは、軍資金の献金と神道本局への寄付の二つについて述べられているが、両者は、かなり性質の違ったものである。 前者については「どうとも言わん」と仰せになり、道の理の上からは「些かの理」であり、世上へちょっと愛想をするようなものであると仰せられている。 後者については、本教がその教団の成立過程にあって、やむなく一時神道の傘下に籍を置いたのであるから、おさしづでは、これは他の事情ではない、内々の事情と思わねばならぬと仰せられ、差し出がましいことは控えねばならないが、よく真相を聞いて治めるがよいと仰せられている。 寄付について、その他のおさしづからうかがえることは、次の通り ○献金は皆揃うた一手一つの心に任す。 ○献金の名義は世間で一々細かく名前を出すが、道の上では欲を忘れ、心から献金しているはずであるから、代表名でよい。 ○みんなで談じ合いすれば、皆の心が集まって、どんなこともできる。 \n\n 世界の事情という言葉は、いろいろの意味に用いられる。一般的に言えばうちとせかいという対照において、対外的問題として対処すべき事情である。しかし、ここでは、もう少し限定して、世界にあらわれてくる大事情といった意味で用いる。 世界の事情は、親神のざんねんの現れとして、自然現象と社会現象とに分けて見られる。このうち自然現象については、この教理研究では「教会生活の出来事」および「教政」で研究されている。 社会現象については、いろいろの事情が見られるように考えられるが、ここでは戦争に関するものと、世界事情に対処する心構えを教えられた、とみられる刻限のお諭しの若干を挙げた。 (1) この世界を治めているのは親神であって、その思惑は神一条の道・たすけ一条の道(つとめやさづけ)によって成就されていくのである。 (2) 神一条の精神によって事情を治める。 (3) 心のほこりを払い、心を澄まして親神の思召しのままに対処する。 (4) 事情は旬によってあらわれるので、その旬の理によって事情を見る (5) どんな困難なことが起きても、爼板とも台ともなる、という大きな心構えでなければならない。そのためにはたすけ一条ということを、よく理解する必要がある。 (6) 事情をいかに見るか、いかに対処するかということについては、おふでさきに書いてある。