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芦津分教会部下笠岡支教会の事情に付永尾楢次郎、桝井伊三郎両名出張の願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\一人のためにこういう事になりて、皆心に楽しむどころやない。日々積もる処程よう聞き分け。何でも無くば何でも無い。なれど、心に発散せんというはいつ/\まで、一つ心に言わんように思う。一つ善い処事情、それは善いなれど、事情重なり/\の理を取りて勤めとは言えまい。たすけとは言えん。早く諭してよう聞き分け。兄弟の中に罪を持って兄弟と言えん。どんな所でも心に曇れば成るよう成らせん。事情諭して万事取り扱え。一つの心に寄せてやるがよかろう。

押して、本日よりやらして貰いますと願
さあ/\万事の所、解きほどきして、速やか治めてやるがよい。治まらん所治めてやるがよい。
【説明】
(1) 笠岡初代会長上原さと姉は女であるところから、会長事務は当時副会長の西山平四郎氏が執っていたが、さと姉の娘婿伊輔氏への会長継承問題が起こった時、西山氏を会長に推そうとする役員たちが西山氏を擁して西山党を作り、盛んに策動し争議は毎日のように続いた。この事情は次第に深刻化し、為に教会は陰鬱となり、信仰を中止する者、落伍する講社もできた。事件は結局、西山氏はじめ西山党の面々が人に託して教会に辞表を提出、伊輔氏が二代会長を継承して落着した(「笠岡分教会史」参照)。 (2) 一つの教会に勤める兄弟同士が争っているようでは兄弟とは言えん。どんな所のことでも、心が曇っていては物事は成ってこない。万事心を一つに寄せることが大切である。
【摘要】
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。  お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。  会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。

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