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日本橋分教会長中台勘蔵身上の願

さあ/\尋ねる処/\、さあ身上一時計り難ない理であろう。しっかり万事事情一時には行かん。長い心を持ってくれにゃならん。何処もこうや/\、何処までも道も広く成り、思うように成りて来る。何でもこうなれば、いずれという心を持ってくれ。日々どうやこうや、名もへたとてどうもならん。日々はあと名もしっかり、身上はあと言う、名というは末代治まる理である。一時身上に掛かる処、大きい心を持って、急いてはならん。急くと言う、日々出る入る。これは急いて一つの治め方もせにゃならん。どんな事もこんな事でも、分教会々々々と心に持って居れども、日々思うように行かんと、だん/\心に掛かる。心に掛かるから身に掛かる。身上一時どうなろうと思えども、又々治まる。この理をよく治めてくれにゃならん。

押して上原帰京の願
さあ/\尋ねる処/\、さしづを以てこうという。急いで道という。早く/\通じて理を聞かして、内々それ/\運ぶが道という。

押して中台内々治め方願
さあ/\事情々々よう聞き分け。何でも無き内々という心の妬み合いと言う。これは善き理とは言われよまい。互い/\心の理、一時明らか。万事急いで掛かりてくれにゃならん。

押して本部より一人出張の願
さあ/\尋ねる処、一時の身上の理を以て、早業の理を以て、早々又々の処は、何時にても運ばれる事情を、聞いて驚いたと言えば、何ぼうの理とも分からん。早く一人早業の理を運んでくれるよう。
【説明】
(1) 日本橋大教会初代会長中台勘蔵氏(幼名国太郎)の身上の願い (2~3)二代会長となった子息の中台平次郎氏(のちに勘蔵と改名)は、入信の動機についても、また生活歴においても、強い信仰体験がなかった。その上思案型の人で陰気であり、魚問屋であった父の財産の減少して行く姿に、将来に対するある種の不安を感じていた。  一方三代会長となった弟の中台庄之助氏は、兄である初代会長が講元となるや、商売を店の者に任せて初代会長を助けていたが、明治二十三年頃には道一条となり、初代会長の布教を助けて、武州、上野、野洲方面に、あるいは相州方面へと単独布教を開始している。教会もご守護いただいて来たのだから、息子も弟のように熱心にお道に勤めてくれたらと、初代会長は悩んだのではないだろうか(「宗教文化研究所報、教会史資料(一)参照」) (4) 上級の上原佐助会長に、急いで帰京し、理を聞かしてやれ。 (5) 互いに立て合いたすけ合わねばならんのに、妬み合いをしているようでは治まるはずがない。 (6) 身上に現れている以上は、一刻も早く治めてやれ。身上と聞いて驚き、すぐ駆けつけたとなると、どれくらい相手を喜ばせ、事情解決に役立つかしれない。
【摘要】
後継者の問題は大きく分けて二つある。一つは後継者養成の問題であり、ほかの一つは後継者選任の問題である。ここでは後者を取り扱い、後継者育成の問題は「縦の伝道」のところで取り扱う。  なお後任者に譲り渡すべき時期の問題などもあるであろうが、それは「担任」のところで取り扱う。  後継者の選任を要約すれば下の通りである。 (1) 妻が会長を受け継ぐには、生涯末代道に伏せ込む決意が必要。 (2) 子供が幼年である場合には、適当な役員を選任して治めさせるのがよい。 (3) 子供に長幼の順序があっても、こうのうの理によって後継者を定める。 (4) 子供が後継者と定まってない間に会長が出直した場合は、一刻も早く上級から葬儀に参列することが大切。そして落ち着いてから十分言い聞かせて、あとを継がせる。 (5) ともかく、この場合は子供を満足させること。 (6) 役員が後を継ぐ場合は、本人の揺るぎない信念が一番重要。 (7) 役員が後を継ぐ場合、皆の気持ちがこの人と集まることであり、逆に言えば、皆の気持ちを一つに集める人があとを継いで行く。 (8) 何かの都合で、その教会の道を開いた人(甲とする)が会長とならず、別の人(乙とする)が会長となっていたような場合、後継者としては、乙の子孫よりも甲を会長とする。甲の社会的身分は低くとも、元を尋ねることである。 (9) そのような場合、人間思案で明け暮れせず天の理で治めることである。

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