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中山たまへ歯の痛みに付願

さあ/\尋ねる事情/\、身上に事情、さあ/\堪えられん事情尋ねる処、さしづを貰ろたらなあ/\思う心事情と言う。先ず/\さしづというはよう聞き分け。これよりだん/\道というは、日々であろう。身事情ありては何の楽しみあろうまい。堪えられようまい。堪える事出来ん。尋ねる身の不足一つ理聞いたら、又々理分かるであろう。身に堪えられん事情、さしづ成程と真に理治まれば、一時そのまゝ治まる。数々は又々これから先日々と言う。まあ一つさしづ取りて聞いて、よく/\事情。これからどんな事でも掛かりて来れば、見遁す事出来ん。よう事情聞き分け。高き所空に見て、これまで事情細こい事情分からせん。分からん筈や。聞かした事無い。尋ねたら不思議と思うやろう。よう聞き分け。内々は一つ事情他に一つ事情、これから尋ねて成程と思えば、一時治まる。これからだん/\諭さにゃならん。何も分からん。幼年と言うて、しいかり神の道、一戸の道、世界の道、これ三つ難しい。これよう聞き分け。いんねん事情追々諭す。これからさしづより頼り無いという理治めば、身は直ぐと治まる。
【説明】
未だ幼年で何も解らないが、しっかり神の道、一戸の道、世界の道というこの三つのむつかしい道をききわけよ、いんねん事情を追々にさとすから、これからおさしづより他に真に頼りになるものはないという理を治めよ。そうすれば身上はすぐに御守護頂くという意味で、歯痛は神の道、一戸の道、世界の道の三つの道をききわけて、一つに治まるようにせよということを指示されたのであろう。
【摘要】
口に関するさとしは、内々の治まりについてさとされているのが多いが、歯も口中にあるものとして、内々(家内、教会、お屋敷のうちら)の治まりについてさとしていられるものが多い。その治まりは、各自がいんねんを自覚して勝手気ままをせず、よくたんのうの心を治め、神意を中心として一手一つになる事によって得られるのである。歯はかみ合ってこそ咀嚼ができるのである。従って一本では如何に丈夫であっても役に立たず、かえって邪魔になるかもしれない。合わせることー神意に合致すること、又お互い同士の心を合わせること(一手一つ)ーを指示され、又各自のいんねんを十分にかみこなす(納得する)ことを指示されていることは、身体の機能と関連して、さとしの妙味というべきであろう。世界一れつの人々のたすけ合うところに、不思議な親神様のおたすけをいただくことが出来、かくて陽気ぐらしがこの地上に実現されると教えられる本教信仰生活上、一手一つの大切なことは今更申すまでもないことあろう。

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