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松村さく耳痛むに付願

さあ/\尋ねる処身上がどうもなあ/\、これ思う処、身上の案じ出した/\。何も案じる事要らん/\。よう事情聞き分け。他に事情側々その事情急き、聞き分け、他に事情聞き分け。身の処自由案じる事要らん。なれど一寸変なる処から尋ね掛ける。他に一つ事情大抵当たる。いつ/\まで見て居てはならん。古き事情、これまで何度運び/\、又候々々難しい処見て、あれではならん。十分々々見え掛けたら、何でも治め掛けてやらにゃならん。これだけ話して置けば、又々理が分かるであろう。

押して、何度も仰せ下される上田ナライトの処で御座りますか、御願い申します
さあ/\あら/\理は分かるであろう。心に中たる。難しい道と言うやない。元々雲掴むような処から年限成りたる理思う。理分かるであろう。これだけ話して置けば、又々理運び掛けてくれるがよい。
【説明】
松村おさく、高安大教会初代会長松村吉太郎母堂。 古くからお聞かせいただいたことを、実行が難しいからといって、何時までも黙って見ていてはならないという意味で、耳痛むのは、神言を聞き流してはいけないと指示されたのであろう。
【摘要】
耳については、互いによく談じ合え。聞きにくいことも前生いんねんとたんのうせよ。神意、ぢばの理を聞き分けよ。理を知らせてやれ。いらんことを聞き、心をにごすな。などというおさとしがある。特に注目すべきことは、『理をききわけよ』と『理を知らしてやれ』という消極と積極の二つがあることで、その時の事情その人のいんねんを明らかにしなければ、適切なおさとしは出来ないことが、これによって明らかに解るであろう。皆の者が一手一つに陽気ぐらしが出来るように、耳を使わせて頂くことが、大切である。

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