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教祖御霊殿本部北寄りで六間に八間の建物建築致し度きにより願

さあ/\だん/\事情以て尋ねる処、一時はこうせにゃならん、又事情によって無くばならん。皆それ/\事情急ぐ処受け取る/\。年明けたら十年という、何でもという事情の処、急く事要らん。未だ/\地所急ぐ処ある/\。又広く建て出す処、日柄何時でも出ける。地所は一寸今に言うて今に集める事は出けん。これでなら大抵なあ/\というは、一時の道という。地所から定めてくれ。

押して願
さあ/\尋ね返やす処/\、一つ一寸話に及ぼう。これ聞き分けて定めてくれ。どういう話なら、たゞ一つ世界事情、これは教祖という。それは十分受け取りてある。なれど内々治まる処急くやない。未だ/\扉開いてある/\。めん/\の処、こうしたのにと言う。その処、一寸気兼は更に要らん。遠慮は要らん。たゞ事情世界理が集まれば、十分受け取りてある。そこで扉開いて居る。

続いて願
さあ/\いつまで仮家ではどもならん/\。これだけという処定めたら、建家事情理を諭す。それまで建家一条、未だ/\早いとさしづして置こう。世界理を集めてぢばこれだけという処、それは構わん。世界十分なりたら、ぢばは十分出けてあるのや/\。

さあ/\まあ/\十年経っても、未だ教祖建家無いとは更々思うな。心掛けるまで親里という/\。親は子思うは一つの理、子は親を思うは理。この理聞き分け。何でもぢば、という理が集まりて道という。親の内は地所さい拡がりたら十分。建家住家して居りても、多くの子供戻るぢば無うてはどむならん。
【説明】
(1) 教祖のお住まいは明治十六年に建てられた御休息所のままであった。教祖十年祭が近づくにつれて、教祖殿の新築を願い出た。 (2) 年明けたら教祖の十年祭を迎えるので、どうでもこうでも新築しようと急いでいるが、建物よりも地所の拡張を急がねばならぬ。また広く建て出しすることも考えているが、その日柄がくれば、いつでもできることである。しかし、地所は直ちに集めることはできない。 (3) 自分たちの所は、こうして建物も新築したのに教祖の普請ができないとすれば、遠慮するだろうが気がね遠慮はいらん。ただ世界の人々の心がぢばに集まるようになればよいのである。 (4) 十年経っても教祖殿がないと思うな。心にかけておくがよい。親里と言うているが、親は子の成人を思い、子は親を思うて運ぶのが理である。ぢばのお陰であるという真実が集まってこそ道である。親の思いは地所さえ拡張できればよい。多くの子供が帰ってくる。おぢばが狭かったらどうもならん。 \n\n (1) 明治二十九年に教祖十年祭を迎えるに当たり、前年の一月よりおやしき拡張が始まった。このおさしづは教祖殿建築につき伺ったのであるが、それより道の子供の帰参するおやしき拡張、信者詰所普請につき神意を述べられた。 (2) 年が明けたら教祖十年祭である。何でも新築したいというが急ぐ必要はない。それより地所拡張を急ぐ。建物を増築しようというのは、いつでもできる。しかし地所は、今言うてすぐ買い集めることはできない。これでなら大抵間に合うというように、段取りするとこが今すべきことである。地所拡張から決めてくれ。 (3) 世界にあらわれてくることは、教祖存命の働きである。教祖のために心をつくす真実は十分受け取る。しかし内々安心のためにというなら、急ぐことはいらぬ。教祖は扉開いて存命のまま立ち働いている。お前たちの中には目下住居普請をしたいのに、教祖の普請ができないので気がねするものもあろう。遠慮はいらぬ。ただ、教祖年祭に当たり、人々の真実がぢばに集まるようになれば十分受け取る。教祖は存命のまま日々働いている。 (4) 普請は、まだ時期尚早と言わねばならぬ。部下先々の者たちが、皆の真実を集めてぢばには、これだけ丹精しようという、それは一向かまわぬことだが、部下先々が十分になったならぢばは十分できてきてあるのである。 (5) 既に十年も経つのに教祖の建物がないと思うな。心がけておくがよい。ここは親里である。親は子を思い、子は親を思うは天理である。この理を聞き分けてくれ。何でもぢばへぢばへと真実が集まって道ができたのである。親のうちは地所さえ広くなれば十分。たとえ建屋に住まうことになっても、十年祭に国々から多くの子供が楽しんで戻ってくるぢばが狭くっては、どうもなるまい。子供の泊まる所がなければならない。  このおさしづより、信者詰所ができ始める。 \n\n (1) 年が明けたら、いよいよ教祖十年祭となる。そこでお前たちは、どうでもそれまでに教祖殿の新築をしたいと願い出ているが、そのことは決して急ぐことはいらぬ。それよりも急がねばならんのは、やしきを広げることである。地所さえ広くしておけば、普請の方はいつでもできる。しかし地所の拡張ということは、今言うてすぐにできる、というものではない。これだけあれば大抵間に合うだろうというような考えは、今だけの一時の道になってしまう。この道は、そんな今だけの道でなく末代に弘まる道であるから、この際しっかりと、やしきを広める心定めをしてもらいたい。 (2) この道が世界に広くつけられたのも、教祖一人からである。その教祖のためにと思う真実の心は、十分に受け取ってある。しかし道の内々が皆十分に治まってからでよいので、教祖殿の普請は今急いですることはいらぬ。教祖は扉開いて存命のまま働いている。こうい言えばお前たちは、自分たちの住家の普請にもかかるのに、教祖の普請ができないのではと思うかもしれんが、そんな遠慮気がねはいらない。大切なことは皆の真実の心が集まってくることであって、それができれば、その真実を十分に受け取り、そこに教祖存命の理の働きを見せてやろう。 (3) 教祖が現身を隠してから十年になるのに、いまだに教祖殿がなくて、というようなことは思わなくてよい。案ずるまでもなく、ここは親里である。親が子供のことを案じ、子は親のことを心にかけるのも道理である。この道理を聞き分けて、どうでもぢば一筋にという真実の心が集まってこそ道なのである。親の思いは、地所さえ広がったならば、それで十分なので、いかに教祖の建物があっても、教祖を慕うて多くの子供が帰ってくるぢばが狭くては何にもならんのである。
【摘要】
本部の普請についての諭しは、それぞれの普請の規模、構造、用途が異なるので、それについて述べられた神意を一様にまとめて言うことはできにくい。しかし次の点は、一貫しているように思う。 (1) 今一時は皆、仮屋普請である。しかして道普請であり、切り無し普請であるということ。 (2) 親の普請を急ぐより、親心の上から大勢の子供たちの帰ってくるおやしきの拡張、信者詰所の普請を望まれていた。しかし、上田ナライト様の住まいや神殿普請のおさしづに見られるように、機が熟して、神意を達成するための普請は、どんなに財政が困窮した中でも、これをやり遂げるように、きびしく急き込まれている。しかして普請の心構えとして、次のように諭されている。 ① 道の順序を聞き分けることが大切である。つとめ場所が道の普請の掛かり初めであったが、最初は小さいものから出来上がって来た道である。この最初掛かりの精神で通れば、どんなこともできる。 ② つとめ場所は一坪から始まったのであるが、その普請を引き受けると言うたのは本席である。普請に当たって、皆その心になるように。 ③ 普請はまず、木を一本買うことから始まるのである。 ④ 旬をはずさないように。旬をはずせば、できることもできなくなる。 ⑤ 念の入ったことはいらん。木柄に望み好みをするよりも、大きな心で何でもという精神が大切。小さな心ではいずんでしまう。 ⑥ 急いでかかれば十分のことができない。前々から用意を整えておくことが大切。 ⑦ 案じ心を捨て、楽しみという心をもって、勇んでかかるように。勇んでかかれば神が十分働く。 ⑧ 皆心を合わせて、一つ心になることである。派を分けてはならん。 ⑨ 外面を飾るよりも、内面の充実が大切である。「中に綿を着ずして、外に綿を着ては通られん」と仰せられている。 \n\n 本部の地所に関するおさしづを通覧すると、次のような点に神意が現われている。 (1) 神のやしきの地取(範囲)は、既に神意として定まっているということ。かねがね教祖は「八町四方は神のやかた、奈良初瀬七里は宿屋ばかり」と仰せになっており、遠大な親神の思召しが着々実現されていくことになる。 神のやしきの地取りはすでに定まっている (明治22・10・20) 縄を張って何間何尺定めたるようなもの (明治26・6・13) 元のやしきへ成って来る (明治23・4・24) 年限だん/\重なれば八町四方になる (明治27・11・17)    というようなお言葉に、そのことがうかがえる。 (2) 道の子供たちが親神を慕って帰って来るぢばであるゆえに、広い地所が必要である。教祖十年祭を迎えるに当たって教祖殿建築につき伺うと、  親の内は地所さい広がりたら十分。子供戻るぢば無うてはどうもならん (明治28・3・10) と言われ、これより詰所がぢばに建築され賑やかとなる、広い地所を神はお望みである。  広く要る/\、急くも神、抑えるも神の働き (明治22・8・18) (3) おやしき拡張のための地所買い入れは、申すまでもなく親神の親心によってご守護をいただくのである。  地所集め掛けたる処、大抵々々もう少しの処、直きに集めさして了う (明治28・11・14)  道の理運んで万事の処心さえ持って働きさえすれば、どんなことでもさしてみせる (明治33・4・20) (4) おやしき拡張整備のための土地購入は急いではならぬ。年限によってご守護をいただくのである。  年限という処から、ぼち/\掛かれば成る (明治34・2・10)  成程という処から何でも及ばす。年限の理を持って及ばす (明治32・1・15)  大木の大きくなるようなもの (明治28・8・19) また、旬がくれば口を開いたように、鮮やかに順調よくご守護をいただく、とも言われる。教祖五年祭(明治二十四年)を迎えるに当たって、その前年のさしづには、 広くぢばが要る。要るというて前にも諭したれど、やしきの取りようもないと思うやろう。なれど一つ口が開けたら皆寄り来るであろう。(中略)仮家普請差掛普請、一寸始め掛けた (明治23・6・21)    それは日覆いを取り除けるようなものだと言われている。 (5) 土地買い入れについての人の心の在り方はどうであればよいか、と言えば、この点については、  大層々々は受け取れん。大層してはたすけ一条何もならん (明治33・3・16)  かけ合いなら何時でも許し置く。尋ねるまで。大層の処世界にも成らん (明治32・1・15) しかも大切なことは、各人の発意によるものであって、無理なことは神は受け取れぬ、と言われている。  運ぶ尽くす理は受け取る。(中略)しようまいと思たて、出来掛けたら出けるで (明治25・6・20)  何にも進めるやない、頼むやない (明治22・10・23)  いずれ広くならにゃならん。(中略)人の心によりて心一つ成るものや (明治34・11・13) ――親神の深い思惑によって、親神のご計画が着々実現されつつあることに間違いはない。かつ、道の普請(建物の場合)は仮普請で、更に将来へ向かって発展する一過程における普請であることが特徴的で、道の子供たちの勤めは、一日も早い親神の思召し実現に努力することである。  先々育てて成人したら、どんな所からどういう事出けるやら知れやせん (明治28・11・14) と、非常に子供の成人に期待をかけられている。そのご期待に応えるには、どのように努めればいいか、この点が最も肝要なところであろう。 \n\n  教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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