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清水与之助身上の願

さあ/\尋ねる事情/\、とんと心得ん事情であろ。いかなる事であろ。理を思う処余儀無く事情尋ねる。尋ねば一つ諭そう。よう聞き分け。長らえての道筋、長らえての事情、尋ねる処にては一つさしづ、よう聞き分け。どうするも一ついんねん、成るいんねん掛かるいんねん聞き分け。いんねん/\という処が、どんないんねんもある。よう聞き分け。たゞいんねんと言うたら、前生どういういんねんやらと言う。為すいんねん聞き分け。一つ話する。一時以て掛かる事情、何したんやらと思わず、内々夫婦中という、一時あたゑ。あたゑ無きという。それは何にも思う事要らん。夫婦あたゑ無きいんねん。先々いんねん、先々治め方、これ一つ確かに持たにゃならん。尽してこうなればどうという理を持たず、掛かりて来ればどう。一時片付けばやれ/\皆一つの理に掛かる。どうで一つ無き事情の道、始めたる理、これ聞き分けて、何も心に思い残さず持たず、よう聞き分け。案じる事要らん。案じる事は早いで。

たゞ今おさしづ小人を貰い受ける心は両人とも無之外の人を後に致し度きの願
さあ/\未だ一つの事情は思わく/\。そら成程の精神受け取る。未だ何年とも先長い。その事情未だ早い。年限経てばやれ/\。未だ/\長い道やで。
【説明】
(1) 清水与之助氏 本部員・兵神大教会初代会長。 (2) 与之助とはる夫婦の中に子供がないことを気に病むことはいらない。子供のないいんねんである。しかし後継者を定めて、あとあと教会が治まるようにすることについては確かに、しっかりした考えを持たねばならない。これだけつくして、しかもこのようなことではと、悔やんで通ることのないよう。子供がないということは心配なことではあろうが、この道についてきたことを考えれば心配することはない。たとえ肉親の子供はできなくとも理の子供ができる。この理合いを聞き分け、何にも心に思い残さず通るよう。  明治三十三年七月西本みつ姉を養女にもらい受け、翌年三月山沢由松氏と結婚。五月与之助氏出直し。享年六十歳。由松氏は5月家督を相続した。
【摘要】
子供に関するおさしづを検索すると、次のような点が指摘されている。 一、 親と子の関係 (1) 子供は先祖の魂の生まれ更わりである。親が子となり子が親となり、互いに恩の報じ合いをして通るのである。  山沢さよ姉は祖母に当たる梶本ひさ姉の生まれ更わり、永尾たつゑ姉は永尾家三代前の母の生まれ更わり、増野道興氏は祖父庄兵衛氏の生まれ更わりである。  なお前生いんねん果たしができていなければ、そのいんねんを今生に持ち越す。また親がいんねん切りの道を通れば子供はしあわせになる。親がたすけ一条の道を通らなければいんねんは切れない。 (2) 嗣子はいんねんによって結ばれる。よい子を持つも、よくない子を持つも、すべていんねんによる。 (3) 子供は先祖から受け継いだ理を享けて通るものである。ただ一代限りだと思ってはならぬ。理は末代である。 二、 子供とは (1) 子供は各自持って生まれた徳分を持つ。子供が幾人いても神が引き受ける。 (2) 子供は十五歳まではおやのいんねん、すなわち十四歳以下は親のいんねん、先祖代々のいんねんを担うものであり、十五歳以上は本人の心遣いによる。現在教会本部で戴くおまもりは、十四歳以下は子供おまもりを戴く、十五歳以上は大人のおまもりを戴く。 (3) 子供は宝である。仮に今は宝のように思えなくとも、将来かけがえのない宝である。 三、 子供の身上 (1) 子供の患いは一家中の患いである。 (2) 子供の身上は、親の心遣いの投影である。山沢ミキノ姉の上げ下し、永尾たつゑ姉や梶本ミチ姉の夜泣きは、親の心の投影であると言われる。 (3) 子供の身上より心を定めよ。子供の身上は精神定めの台である。小児深谷景三の身上障りを通し、河原町分教会の事情定めによって、甲賀・水口・湖東の分離昇格が打ち出された。山名分教会の諸井政一氏の身上によって後継者問題が再確認された。 (4) 親にとって子供は可愛いものである。わが子の身上を通し、理の親たるの心をしっかり定めるよう。 四、 子供のない場合 (1) 子供の授からないのは前生いんねんによる。与えられた境遇をたんのうして通ること。 (2) 子供があたわらないのは自分らに、そのあたえがないからであり、しっかり徳を積むよう。 (3) 道を通れば理の子供があたわる。心に思い残すことのないよう勇んで通ること。

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