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教長脳の芯痛むに付身上願

さあ/\事情尋ねる/\処、さあ/\事情尋ねる。心というは余儀無く心であろう/\。身の処切なみ一つ事情今日はどうであろう、又明日どうであろう。日々思う処/\、又一時どう、日々であろう/\。よう/\一つ理それ/\所にては皆取り決まり、談示一つほんにそうやなけにゃなろうまい。一つでなろうまい。一つ諭すによって、よう聞き分け治めてくれ。身上切なみいつ/\までにはなろまい。これまでちゃんと済んである。身の内切なみ無けにゃ楽しみ諭す/\。神一条実と取りて治めてみよ。又しても苦労は、心で苦労して居たのや。楽しみ、心改めたら苦労あろうまい。陽気遊びと言うたる。陽気遊びというは、心で思たりして居た分にゃ、陽気遊びとは言えまい。これから心に悔しみありては、陽気ぐらしどころやない。早くにこれだけ分かったこっちゃ。分かったら、日々飲んだり着たり、いつ/\まで楽しみ。これ一つ聞き分け。一時早く諭してくれにゃならんで。
【説明】
教長様、初代真柱様。 神一條の心を真実に治め、思い悔やむことなく陽気あすびの心で通れという意味で、脳心痛は人間的な小さい感情を捨て、陽気な心で通れと指示されたのであろう。
【摘要】
頭についてのおさしづを要約すると、人間思案(特に高慢の心)を捨て、親神の思し召しに素直にそいきり、幾重の中もたんのうして通れという意味のものが多いように思う。一言にして申せば、理の考え違いを戒めていられるように思う。考え違いを引き起こすもとは、めいめいの欲の心であり、何について理の考え違いをしたかは、その人のいんねんによるのである。身上かしもの・かりものの理をよく思案し、教祖のひながたをしのび、自分がおたすけいただいた最初の道すがらを忘れずに通れば、考え違いがなくなり、日々たんのうの心がおさまり、陽気ぐらしができるであろう。

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