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教祖十年祭の事に付、日取りは二十五六の積りの処、五年祭は二十六七八の三日間に有之に付如何にさして頂きまして宜しきや伺

さあ/\尋ねる処/\、まあ一日の日を以て/\、万事の事に一つの理を諭そう。二十六日という、六七八という、又一つには五六七という。一つの理がある。まあこれまでの定まった理に変わらんようにするがよかろう。

二十六七八の三日にさして頂きます
さあ/\まあ前以て事情、事安く治まり又五年経つ。変わらんように、いつ/\までも変わらんよう。この理を一つ諭し置く。

二十六日の日に大祭勤めさして頂きますや願
さあ/\何もこれ御殿を持って出る、社を出すのやない。心を遷すのや。どんな事すれども、心は皆んなそれへ遷りてある/\。

式場
さあ/\大望な事やない。もう一日の事情で十分である。何ぼ返やしたとて同じ事。

二十七日一日だけ式場で勤める事
さあ/\六日はこれ存命からつとめをして居る。二十七日々々々々、皆んな心を合わせにゃならんで/\。これ一寸諭し置こう。皆んなしっかりと/\。
【説明】
(1) 教祖の年祭を勤める日を、二十六日と言い、あるいは二十六、七、八の三日間と言い、また、一つには二十五、六、七の三日間と言っているが、いずれにしても、それぞれ意義のあることである。だから、これまでに決められ、また勤めて来た通りに勤めるがよい。 (2) 前に勤めた五年祭は、まことに順調に勤めることができた。それから五年経って十年祭を勤めるのであるが、これまでと変わりなく、そして、いつまでも理を曲げないようつとめてもらいたい。この点一つ諭しておく。 (3) 二十六日という日は、教祖在世中からつとめをしている日である。そして年祭は二十七日に勤めたいと言っているが、それには皆が心を一つに勤めてくれねばならん。
【摘要】
教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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