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各部内分支教会に於て教祖十年祭の節広き場所へ御遷りの願

さあ/\尋ねる処/\、所々には皆心があろう。心遷してある。地所狭い処は取扱いだけ出来るようにせにゃならん。ほんの心だけ勤めてくれ。又一つ諭して置く。所によって掛け出しもせにゃなろまい。それは心の理だけに許し置こう。心だけ遷すのやで。日限の処も早い遅いは無い。

教祖御霊遷りの願
さあ/\心々、心だけ遷す/\。

同、日限の事情
さあ/\もう一度の話に許し置くから、それ/\の事情、日限早い遅いは無い。大層は要らん。心だけ受け取るのやで。
【説明】
(1) 所々の教会には、教祖の心が遷してある。地所が実際に狭い所は、祭事ができるように、それは広げねばならんであろう。しかし、それは心だけでよい。また、もう一つ諭しておくが、所によっては掛け出しもしなければなるまいが、それも粗末なものでよい。心だけ遷したらよい。日柄についても早い遅いは言わない。 (2) 日限については、もう一度話をもって許しておく。それぞれの十年祭は、日取りの早い遅いは言わない。いつまでもよいが大義大層はいらんので、心だけを受け取るのである。
【摘要】
教祖の年祭についての思召しは、おさしづの随所に出ているので、ここに挙げたのは、そのほんの一部である。これらのおさしづによって、一貫してお諭しくだされている要点は、次の点にあると悟れる。 (1) 年祭を勤める根本の精神は、人間思案を捨て、神一条にたちきること。 (2) 年祭は単に年限が来たから勤めるというのではなく、道全体、また道につながる一人々々の成人の旬である。 (3) したがって年祭を勤めるについては、決して形の上にのみ心をとらわれるのではなく、神一条の心定めこそが肝要である。 (4) それには道の者一人々々が、しっかり教祖のひながたに帰り、その実践こそが日々の目標となる。 (5) それには日々に勇み心を持って、しっかり喜びの理をぢばに運ぶこと。

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