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梅谷たね身上伺

さあ/\尋ねる処、さあ/\さしづは変わらん。さしづはいつとても変わらん。一度の諭に生涯の理まで諭してある。理のある限り神のさしづの理は変わらん。一人事情又事情変わるように皆思う。なれど、よう聞き分け。何が間違う、こうが間違うと思う心が間違う。さんげこれ一つよう聞き分け。これまで細い道、細い中から通り来たる処、それは案じる事は無い。又日々にたんのうもしては居る。案じる心は皆身上に、一時迫る処は余程大層やで。皆々それ/\治める中に、事情は余程大層やで。事情世上一つ事情以て、早く明るく運んで安心という。

押して、医者に掛ける事でありますや
さあ/\それは第一やで。前々からそれを皆諭して居る。それを分からんのや。皆分からんで、日々苦労して居る。それはどうしたさかいにどう、こうしたさかいにどう、という理は無い。医者の手余り捨てもの救けるが、神のたすけという。日々皆それ/\遠く所から寄り来る処、よう聞いて居るやろ。それをよう諭して置いて、日々という。これ一つ諭し置こう。
【説明】
(1) 医者が見放し見捨てたものを、たすけるのが親神による救済である。
【摘要】
(1) 病気になったら医者にかかったり薬をのむなとは、どこにも教えてない。 (2) 医療を十分受けて、それでもなお何とも治らない病をたすけるのが、この教えの根本なのである。 (3) 医者から見放され見捨てられた病人を、たすけてくださるのが親神である。 (4) 親神の教えの理によって、医者の手余りをたすけるのである。心だすけが主眼であり、病の元をたすけるのである。

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