おさしず検索


五月十八日会議案の点に付願

第一、朝夕の御勤今日より「あしきはらい」二十一遍を止め、「ちよとはなし」一条と「かんろだい」の勤三三九遍とに改めさして頂き度く願さあ/\だん/\事情以て尋ねる。それは余儀無く事情から尋ぬるやろ。なれど、一つの理抜くに抜かれん。又一つ事情無理にせいと言えば、心の事情大変と思うやろ。なれど、一つ方法というものは、天にある/\。子供可愛から、どのような事情も受け取ってやろう/\。

第二、月次祭には御面を据えて、男ばかりで「ちよとはなし云々」、「かんろだい」二十一遍とを勤めさして頂き度く、次に十二下りを勤めさして頂き度く、鳴物は男ばかりにて、女の分は改器なるまで当分見合わせ度く願
さあ/\だん/\に尋ねる処、理は一つの許ししよう。同じ事/\どうせにゃならんと言うた処が、人々の心の合わん事した分にはどうもならん。理は子供可愛々々の理から、皆許したるのや、許したるのや。

第三、守札これまで出しましたが、この度政府より喧しき故、鏡に致して宜しきや、御幣に致して宜しきや願
さあ/\尋ねる処、道の上から見れば、道の上からの事情に治めてやってくれ。聞く理は治めて、一つ重々の理に治まるようにして、治めてやってくれ。台は許したる。

押して、神鏡にさして頂き度く願
それは、その心に一つ委せ置こう/\/\。

第四、天理王命の御名、天理大神と称する事願
さあ/\万事皆方法の変わりた事で、当惑して居るやろ。暗い道になりたると思う。暗い所は暗いだけの理に許してやる。自由の理に許してやる。これだけ話したら皆分かるやろう。そうして一つ話がある。皆兄弟集まりた。今が一つの理の台である程に/\。真実より怖わい道は無い程に/\。心の散乱思うから、これまでの処皆見許したる。並んで居る顔、実々兄弟治めるなら、明るい道は今にある程に/\。皆んな一つの心の理を以て、一つの物も分けてやるという心を定めるなら、成程という日はある程に/\。

さあ/\又一つ話して置く。これまでの処に何度の理に諭してある。大道で怪我はしなよ/\と諭したる。細い道は怪我はせん。皆んな仲好くが神の道、妬み合いは世界にも数は無い/\、思い/\なりて来た。今日限り前刻話してある。一つの物は分け合うて/\、又そちらへもこちらへも分け合うて、楽しんで通るが一つの理の台/\。よう聞き分け。諭した理は、裏も取るから、横も取るから、治まり兼ねる。聞き損いあってはどうもならん。万事の理を治まり兼ねる/\。よう/\の道治まり始め掛けたる処から取れば、今日はどういうものと思う。これは一つのふしと思てくれ。これより小そうなると思たら、いかんで。一つのふし/\、ならん処はあちらへ廻りこちらへ廻り、心さえ繋ぎ合えば、実々一つの理はある程に/\。又先々の処、繋ぎ合うて通れば、天の理がある程に/\。
【説明】
(1) 本部では、正月十八日から二十一日にわたって、連日役員会議を開いた。そして二十日に、一同の心のまとまった点を、一々申し上げておさしづを仰いだ(「稿本中山真之亮伝」参照)。 (2) 余儀ない事情から、おつとめを一部改めることについて尋ねているが、おつとめは抜くに抜かれん大切な理である。しかし、どうでも教えられた通りにせよと言えば、お前たちの心労も大変なものと思われる。だが、一つ方法というものは天にあるから安心せよ。子供可愛い上からどのような事情も受け取ってやろう。 (3) どうこうせにゃならんというたところが、皆の心の合わんことをしても、どうにもならん。理は子供可愛い理から皆許しているのである。 (4) 暗い道になったと思うであろうが、暗いところはそれだけの理に許してやる。自由の守護をしてやる。 (5) 皆兄弟が集まった。今こそ道の上に「一つの理の台」を作るべき大切な時である。真実より怖い道はない。心が散乱してはならぬと思う上から、これまでみな見許してきている。ここに集まっている者が、真実の兄弟であるという理を心に治めるなら、今に明るい道が見えてくる。 (6) これは一つのふしと思てくれ。これより小そうなると思たらいかん。一つのふしである。工合の悪いところは、あちらへ回り、こちらへ回りして、皆の心さえつなぎ合えば道は開けて行く。
【摘要】
(1) 官憲の干渉は教内を掃除するふしであって「泥水をすっきり流してしまう」ようなものである。したがってそれは官憲の取り調べを受けているのではなく、親神が「取り調べさす」のである。 (2) 官憲だからと言って、決して、おめ恐れることはない。この道は何もないところから、幾多のふしを通って今日の道になっているのである。 (3) 官憲に対する時は、この世始めた元なるぢばに元のをやが踏ん張っているのだ、ということを心に治めて行くがよい。 (4) この道に反対する者も、親神の目から見れば、皆可愛いわが子である。したがって、お互いは皆、神の子であり兄弟である。たとえ取り調べに当たって、拷問を加えるような仇と思えるようなものに対しても、兄弟の理を治めて告訴などしてはならぬ。 (5) 官憲が、いかんと言えば「ハイ」、ならんと言えば「ハイ」と言うておけ。それによって、一つの理が定まるのである。神はどんなことも見ている。 (6) 教えの理を曲げてくるが、曲げたら曲げただけ、今後道の理が伸びて行くのである。 (7) 官憲の干渉によって教義や祭儀の変更を余儀なくさせられるが、子供可愛い親心の上から一時許すのである。 (8) 官憲の干渉を受けた時こそ、お互いが真実の兄弟であるという理を心に治めて、道の上に「一つの理の台」を作るべき大切な時である。心さえつなぎ合えば、道は開けて行くのである。

TOP


お道のツール