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永尾楢次郎、喜多治郎吉宮崎県及び九州地方へ巡廻の願

さあ/\尋ぬる事情/\、広くの中でありて、皆それ/\何処までもと、説いたる/\。まあ道付けたいと言う。危ない所付けたいと言う。どんな日ありても、道というものは固まりたら堅いもの。なれど、今の処あちらぞれ、こちらぞれ、あちらあれ、こちらあれ、これは通り話。道という、よう/\世界聞いてほんにこんな事と言う所もある。道は新しい間は雨風や、又山崩えやというようなもの。なれど、まああちらこちら堅く道付いたるも同じ事。これ心に持って、心勇んで一つ堅くの道に、改めよ/\。事情は速やか許し置く。万事道の景況見て、万事道のため固めとして許し置こう。さあ/\何時なりと/\。

心進め/\。勇め/\。何時なりと/\。
【説明】
(1) 明治二十九年三月九日教祖十年祭執行、四月六日は内務省秘密訓令が発令され、これより警察の干渉がきびしくなる。本部においては五月十八日より二十一日まで対応策について大会議が開かれた。ここに揚げたおさしづは本部会議の直後、永尾・喜多両氏が九州地方へ巡回する伺いである。ちなみに明治三十年には六月安堵事件が起こり、飯田岩次郎を十一月解任、同月橋本清、十二月前川氏が辞職した。 (2~5)今回布教に出向くというが、現在秘密訓令の出た直後である。危険な所を布教に行くというが、どんな難しい道中の日があっても、道というものは一旦固まってしまえば堅いものである。しかし今のところは、まだまだ道は固まっていない。道が新しい間は雨風があれば、すぐ山崩れやというように危険なものである。しかしもう現在では、あちらこちら堅い道がついたも同じことであるから心配はいらぬ。この心をもって勇んで出向き、一段と堅い道にするよう改めてもらいたい。現在の道の状況から見て万事道のために、その固めの役を務めるよう許しおく。さあ何時なりと。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。

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