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山沢ひさ歯痛み肩にこりつめ願

さあ/\尋ねる処、さあ/\日々の処、事情にて一つどうも何も思う一つあろまい。なれど、日々の処運ぶ中、めん/\から一つこれまで一つ万事事情、一つ皆掛かる/\。一つ鮮やか運ぶ/\理が一時分からん。そこで、身の処堪えられんと思えば一時なろまい。まあこんな事という/\、何ぼうでも速やかならん。よう聞き分け。内々一つ皆中どうでもこうという処、何でも彼でもこう言うたら、中に一つ台になりて諭さにゃならん。長らく事情、年限相当一時こうと諭し難くかった事情、一時長らえて、まあ遅れ/\事情ありて、めん/\からこうとせにゃならん。思やんして、これまで/\だん/\さしづ有りたか無いか/\。一つ諭し掛けにゃならん。話せにゃならん。身上尋ねたらこういうさしづありたと、今日定めて出してみよ。身上長らえ事情からさしづ。ほんにそうでありたかえ、これまでこうでありたと、皆中に、こういうさしづ有りたやないか/\。すうきり改めて、何処から眺めても、何人寄りても成程と、誰にどうと分けず、事情一日定めてみよ。身上定まるさしづして置こう。

押して、中山夫人へでありますや願
さあ/\唱い違う/\。身上事情ありて尋ねたら、こういうさしづありた、心に事情いかな事、よう聞き分け。取り次いで居る。日々寄り来る。前々さしづ、未だ事情でありて、何人はっちゃならん/\。いつ/\まで運んでるからならん。そこで一人事情からこれ運び掛ける。これよう聞き分けにゃならんで。
【説明】
山沢ひさ、教祖外孫。本部員山沢為造夫人。 皆の中にこういうおさしづがあったやないか、これまでこうであったがほんとにそうであったかとすっきり改めて、どこから眺めても、何人寄って思案してもなるほどと、誰にどうとわけず、みな各自のさんげとする事情を、すぐに定めてみよという意味で、歯の痛みは日々皆が一手一つにつとめるようにと指示されたのであろう。 山沢ひさ、教祖外孫、本部員山沢為造夫人。日々の処、運ぶ中、これまで、めいめいからの万事の事情が、みな一身にかかるが、あざやかに運ぶ理が、今一時(今の場合)わからん。そこで、とても我が身にたえられんと思うのであれば、今の場合よろしくない。どこから眺めても、何人寄り集まっても、成程と、だれそれと区別せず、事情を今日一日(すぐに)定めてみよ。という意味で、肩こりつめるのは、万事の事情が一身にかかることを不足せずに、喜んで肩にかつげ、ということを指示されたのであろう。
【摘要】
口に関するさとしは、内々の治まりについてさとされているのが多いが、歯も口中にあるものとして、内々(家内、教会、お屋敷のうちら)の治まりについてさとしていられるものが多い。その治まりは、各自がいんねんを自覚して勝手気ままをせず、よくたんのうの心を治め、神意を中心として一手一つになる事によって得られるのである。歯はかみ合ってこそ咀嚼ができるのである。従って一本では如何に丈夫であっても役に立たず、かえって邪魔になるかもしれない。合わせることー神意に合致すること、又お互い同士の心を合わせること(一手一つ)ーを指示され、又各自のいんねんを十分にかみこなす(納得する)ことを指示されていることは、身体の機能と関連して、さとしの妙味というべきであろう。世界一れつの人々のたすけ合うところに、不思議な親神様のおたすけをいただくことが出来、かくて陽気ぐらしがこの地上に実現されると教えられる本教信仰生活上、一手一つの大切なことは今更申すまでもないことあろう。 肩は荷物を担ぐところである。たとえ困難な事情があっても、それは成人の道すがらとさとり、将来を楽しんで、苦労を苦労とせず、自ら進んで重荷をたんのうして担え、とさとしていられることは、肩の役割と関連して、よく悟らせていただかなければならぬ。一言にして肩のさとしは、尽くし運ぶことー理の実行ーについてのものであると云えるであろう。これは、肩は物を担う処であることと関連して考えなければならぬと思う。尽くし運んですぐ御守護が見えればよいが、むしろすぐ御守護の現れないことが多い。それが将来への伏せ込みとなるのであるが、その時人間思案で迷うたり疑ったりしていずむ。そこを一段と尽くし運ぶところに、その人の真実があり、真におたすけいただく道が開かれるのである。

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