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山名部内甲府支教会長事情に付、当分山名分教会長兼任致し度く願

さあ/\尋ねる事情/\、どちら聞いても事情と思う。成らん事せえとこれも成ろまい。又一つ思わずする事分かろまい。どうも明瞭ないと言う。成らん心があろまい。事情大変縺れてある/\。そこでこういう理になりて来るのも、よう聞き分けて、互い/\道の中の理に聞かして伝えて、是非に是非一つというは道と言う。影形無いという処から聞き分けたら、又一つどんな理でも治まらんでもない。この一つの理聞き分けにゃならん。

押して、山名分教会長出張の願
さあ/\そら一度の処十分の諭、是非に是非というは、こらどうもならん。ならん理でも、こうと言うて、めん/\からこうと言うは又集まる理。よく聞き分けるなら又一つ理もあろ。これだけ一寸諭し置こう。
【説明】
(1) 外部からの干渉圧迫と、建築による借財事情の苦しみから、甲府に会長排斥問題が起こった。この事情の一ヵ年の時、このおさしづをいただいて上級の山名大教会長が来たり、「会長の変更は決してならん。神意である。会長に不足のものは去れ」と大喝。一瞬にして事情解決(「教会史資料(五)」参照)。 (2) 神一条の道を説き聞かし、どうでもこうでも事情解決のご守護をいただきたいというのが、お道の者の通り方だ。何にもない所から始まったのだということを考えたら、必ず解決のご守護はいただける。 (3) 事情解決の見通しの立たぬ時でも、真実の限りをつくせば、皆の心が寄って来て解決できる。このことを、よく悟るなら見通しは明るい。 \n\n (1) 甲府初代興津源助氏は明治二十四年秋甲府へ布教し、明治二十六年三月甲府支教会所設置のお許しを戴いた。明治二十八年神殿の増改築が成り、十二月開筵式・秋季大祭を執行した。その祭典の最中警官が踏みこみ中止を宣した。この年以降明治三十一年まで警官が張りこみ教会・しんじゃにたいして迫害干渉激しく、ために一時盛大を極めた甲府支教会は、火の消えたようになった。このような外部からの圧迫と教堂建築による借財とで内部に事情が起こった。会長排斥問題である。理由は、この苦境の中六十歳に近い会長では苦境を切り抜ける力に乏しい。一方、この時期に会長変更することは社会的に教会の信用を落とす原因となり、かつ信者を惑わせる恐れがあるから会長変更は、よくないとする一派があって相争った。山名より部下の甲府へ出向き山名役員が相談を重ねたが決意がつかぬので、諸井氏はおさしづを伺い甲府へ出向くこととなった。  諸井氏は甲府へ行き「会長の変更は決してならん、神意である。会長に不足の者はここを去れ」と大喝した。この一喝によって、さしもの混乱も解決を見るに至った(「教会史資料(五)」参照)。 (2) 会長変更問題で事情が大変もつれている。こういうい事情になぜなったか、よく聞き分けて、お互いの道の理を聞かせ伝え合って心を洗いかえ、ぜひぜひ一つこうさせていただきたいと、一手一つの心になることこそ道というものである。この道はどういうところから起こったか。もともと影形のない所からできてきた容易ならぬ道である。この理合いを聞き分けたら、どんな事情でも治まらんはずはない。 (3) 一度出向いて行って十分の諭しができ、是が非でも治めたいというても、そう簡単に治まるものではない。しかし治まりにくい事情でも、お前がこうと言い内々こうさせてもらいたいということになれば、また人の心の集まる理となる。ここのところを、よく聞き分ければ守護する。
【摘要】
(1) 建設中に教会が倒れるなどのふしがあっても、たんのうして、むしろ心を定めて通ることが大切。先には大きな楽しみの道がある。 (2) その他教会長を辞退したいという場合にも、よく考えることである。絶望的に見える事情にも、必ず解決の望みがある。 (3) そこで会長を辞職したいという場合には、代わる代わる足を運んで諭してやれ。三度までは説得に足を運んでやれ。 (4) そこまでしても、やめたいという場合には仕方がない、惜しいものだが。後任会長には丹精をつくしたものを運ぶ。 (5) 何かの都合で会長排斥運動などが起こったような場合、あくまでも元一日を考えて、天の理で治めることである。元々の理を捨てたなら、株たを捨てたようなことになる。 しかし、そのような場合、会長の方も人間心を混ぜ合わせていないか反省せねばならぬところがある。そして、あくまでも広く大きい心で育てることである。 (6) 会長辞職問題などが起こった時、上級教会などで心配するのも無理はない。しかし自分が病気になることを思えば大したことはない。 (7) このような問題に当たる時、何もない所から始まったのだ、ということを考えたら、必ず事情解決のご守護がいただける。また、どんなに見通しが暗くとも、必ず鮮やかなご守護がいただけるのだから、真実の心でかかれ。 \n\n  対内出張として ①本部より地方・分教会へ出張の場合 ②上級教会より地方・部内教会へ出張の場合 の二つがあり、①について前項で検討したので、②について考察した。  上級教会より地方・部内教会へ出張する場合、出張理由としていろいろの理由がある。  矢追氏が九州布教に出向く(二六・四・一九)場合のように、地方へ布教のため出張があり、清水氏が播州講社巡廻(二一・八・六)し、諸井氏が国々先々へ巡廻(二四・七・五)のため出向く場合のように、地方信者育成のための出張がある。また甲府支教会長事情に付、諸井氏が出張(二九・一二・六)し、北陸支教会治め方に付、平野氏が出張(三二・一〇・一二)したように、教会事情治めのため出張する場合がある。  このような種々の理由によって地方・部内教会へ出張するに当たって、出張員はどういう心がけで行くべきか、巡教員はどうあるべきか、についておさしづを検討すると、 (1) 取次人はをやの代理である。講元というのはこうのうの理を積んだ者をもって講元というのである。 (2) 親神は子供の陽気ぐらしを待ち望み、限りない親心にあふれている。取次人はこの親心を心として布教に、信者育成に、教会事情治めに出向いてもらいたい。 (3) おたすけに出向く際には、親神がついて歩くも同じことで、どんなことでも守護しよう。  以上は上級教会より部内教会への出張・巡回に当たっての心得であるが、これはあながち部内教会への巡教・出張にのみ言えるものではなく、すべての出張についても言えることである。  最後に、以上述べてきた対外出張・対内出張を通じて、全体の要約を述べると次のごとくになるかと思う。  本部より地方分教会へ出張する場合、また上級教会より部内教会へ出張する場合のいずれも、現在では「巡教」「修理巡教」という言葉を用いられているようであるが、おさしづでは出張・派出・巡廻・巡教という用語を用いている。ただし巡教という語を用いたのは少ない。  なお明治三十五年に十教区を置き、教区ごとに取締員を任命し管内監督に当たらせた。また明治三十七年に本部より地方分教会修理巡教のおさしづが出ている。この二つは本項「出張・巡教」を扱う場合に欠かせぬ重要な事情であると思う。しかし、この項では「全国に十教区を置く事の願」(三五・七・一三)および「十教区取締員の事情に就いては先々へ出張のお許し願」(三五・八・一〇)は、既出のため載せなかった。  対外出張・対内出張のすべてのおさしづに現れた親神の思召しは、次のごとく仰せられているようである。 (1) 人間は親神の懐住まいをしている。まず人間は親神の神意ー天の理を心に治めなければならない。 (2) 親神は「反対するも可愛い我が子」(二九・四・二一)という広大無辺な親心である。したがって、一方が立つだけでなく双方が立つよう、兄も育て弟も育てるよう(三五・五・一八)勤めてもらいたい。親心とは理に厳しい反面、情愛に厚い心であり真実誠の心である。 (3) 取次人はをやの代理である。一人たすけたら万人たすかるのである。おたすけ人には親神がついて歩くも同じことである。ついては取次人、おたすけ人は自ら心を澄みきらせ心を浚えることが肝心である。

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