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諸井ろく身上願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\小児々々という。小児ほうと思う心より一つ事情、又第一の事情という。こうと言う言わん事情、これはどういう事情、ぢばに心を寄せて小児事情、はっきり小児身上から引き出したる事情、土地々々事情、どちらこちら隔て無きよう、皆所々事情急がしい/\。年々の処暫くの処、何彼に皆心に掛けず、すっきり委せ置け。思う所、まあ暫くどちらも心移さず、又々身上から引き出す程に。

押して、ろく学校の事情願
さあ/\尋ねる事情、それはもう土地々々思う所へ運び、それ/\皆々事情、心に思う所へ、程よく、事情皆こうしたらよかろうと思うように、委せ置く/\。
【説明】
(1) 増井ろく姉 本部員・山名大教会三代会長諸井慶五郎氏夫人。当時十一歳。 (2) 学校の入学については、それぞれ土地所の学校で自分が、こうしたらよかろうと思うところへ行ったらよい。それぞれの心に任せる。
【摘要】
教育の問題では、一、教育施設についての問題と、二、個人の教育に関しての問題とに大別できる。 一、 教育施設についての問題については、本教の教育施設の嚆矢は明治三十三年四月一日に開校した天理教校であるが、おさしづには先に挙げたように、この天理教校の設置、資金募集、開校式、校舎新築などについての一連のおさしづがある。これによって学校設置、教育についての神意は、おおよそ次のように考えられる。 (1) 学校は一時応法の道として許そう。 (2) この道の仕事は、みなその理の成ってくる元がある。それは、すべて神の思惑から出たもので、神一条の順序の理によって、すべて成ってくる。神の思惑を悟り、人間思案に流れず、応法の道は応法の道として心し、あくまで神一条を忘れぬように。 (3) 皆寄り合って心を揃え、面白く楽しくやるように。皆喜んでするなら、どんなことも日々神が連れて通る。 (4) 校舎は初めから大きいことは考えないように。初めはざっとした間に合わせのもので、雨露さえ凌げたらよい。小さいところから、ぼつぼつしていけば、そこに楽しみもある。 (5) 教育にあったては、できるだけ多く教理を聞かし、どの子供もこの子供も皆、道の柱となるように仕込むように。しっかり仕込んだら、それだけ働きのできる道になる。 二、 個人の教育に関しての問題については、そう多くのおさしづはないが、その中から要点を拾ってみると、次のように考えられる。 (1) 道の者が教育を受ける場合、どこの学校に行くかは、それぞれの思うところに任せる。 (2) 学問のあるものを重宝がる傾向があるが、お道では学問のある者もない者も同じことで、皆めいめいが道の理を積むことが大切である。道の上の仕事は、皆同じ理である。 (3) 道の者は何事も一般のことは、ほんの一通りできたらよいので深くはいらない。大切なのは道の仕込みを、しっかりすることである。 (4) 学問の道もしばらくはよい。道の者は、その短い期間を三倍にも値するように、精出して励むことが望ましい。

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