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南海分教会事情願

さあ/\尋ねる事情/\、一時以て尋ねる事情と言う。まあ一寸前々の事情にて、成程治まりたるであろ。又心という理十分受け取りたる。まあ道のため/\幾重道通り、幾重道運び、又一つにはどういう事情にもなろうか、こういう事情にもなろうか。さあ怖わや恐ろしいという道通りたであろ。又諭す事情、よく事情聞き分け。皆々一つ心残るより、又これから先十分なる理はこれから。さあこれまでなか/\ならん中、これどうなろうという日通りた。これ余儀無く事情、誰したんではない。何処へどうする、彼処へどうする。一つあてどこない事情、それ/\事情集まりて一つ、今一時の処である。これまで余儀無く道でありたやろ/\。これから道よく治め。先々の処どういう処もある。いかなる処もある。そこえ/\道付けたが、だん/\運び来る。まあどうなろうかしらんという処から、一時道作り上げたという。心に治め。守護よく話し置く。これは十分の話。成らん道は成りてくれ。生涯末代事情、生涯末代事情なら軽き話やあろまい。尽しただけの理、運んだだけの理、十分蒔いたる種であるから、皆蒔いた種は、これから十分心寄り合うて、一つ大層なる理は、十分受け取りたる。中に余儀無く事情ある。余儀無く事情は一寸は行かん。道のため、これ運び合い尽し合い、互い/\である。これから道作り上げて運ぶなら、見えて来る。これまで大層でありた/\。どうなろうと思た日あろ。これから十分治まる/\。これから日々楽しんでくれ。これから又話一寸他に放って置けんかいなという理ある/\。ほのかの話してどうでもならん、こうでもならんというは、一寸尋ねる。尋ねるは放って置けん、捨てゝ置けん。又さしづするによって、いつの日の日という事覚えて置け。尽し合いの心は受け取るで/\。
【説明】
(1) 南海分教会は火災後直ちに普請にかかり、明治二十八年五月再建の報告祭を執行したが、その再建は急進的工事を施したため、建築費は約一万六千円(一部には二万円)あまり要し、多額の負債が残った。これと相前後して、10ヵ所近い部内教会も普請を行い、その後始末に苦しんでいる所があり、いわば親も子も負債整理のために大きな苦労を嘗めた(「南海大教会史・第一巻」参照)。 (2~4)これまで幾重の道も通り、どうなるかと思うような事情の中、怖い恐ろしいと思うような道も通ってきたが、つくしただけ運んだだけの理は、それだけしっかりと種として蒔かれているのだから、これから十分皆が心を寄せ合うていくならば、その理は十分受け取る。互いに運び合いつくし合うていくならば必ず明るい道が見えてくる。成らん道も成って来、事情も治まり、生涯末代の理となる。日々楽しんで道を通るように。
【摘要】
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。  お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。  会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。

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