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仲房吉身上願

さあ/\尋ねる身上々々事情々々を尋ねる処、さあ身上に不足ありてどうもならん。よう聞き分け。これはどうであろ、何が違うであろ何間違うてあるのであろ、日々思う。思う処理は、一寸思えば理である。これだけ道運ぶ尽すのに、身上不足どうであろ。道のため運ぶ理に、他に理沸かす理は、大いに違う/\。よう聞き分けて一寸治めにゃならん。どうという心散らぬよう、よう聞き分け。尽した理はいつまでも末代の理/\。これだけ道運ぶのに身上に不足なるとは、更々思わず持たず、身上に不足なる処、めん/\為すいんねん聞いてるやろ。又諭して居るやろ。一代と思うからいろ/\皆心出る。事情しいかり治めるなら、未だ/\。よう聞かしてくれ。事情他にまでというは、どうもさんげえの理に一寸添わん。よう聞き分け。これだけの道、道所に一寸始め、生涯末代の理なら、生涯末代の理から聞き分けるが、さんげである程に。これしいかり聞かしてくれ。
【説明】
(1) 南海分教会は火災後直ちに普請にかかり、明治二十八年五月再建の報告祭を執行したが、その再建は急進的工事を施したため、建築費は約一万六千円(一部には二万円)あまり要し、多額の負債が残った。これと相前後して、10ヵ所近い部内教会も普請を行い、その後始末に苦しんでいる所があり、いわば親も子も負債整理のために大きな苦労を嘗めた(「南海大教会史・第一巻」参照)。 (2~4)これまで幾重の道も通り、どうなるかと思うような事情の中、怖い恐ろしいと思うような道も通ってきたが、つくしただけ運んだだけの理は、それだけしっかりと種として蒔かれているのだから、これから十分皆が心を寄せ合うていくならば、その理は十分受け取る。互いに運び合いつくし合うていくならば必ず明るい道が見えてくる。成らん道も成って来、事情も治まり、生涯末代の理となる。日々楽しんで道を通るように。

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