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諸井国三郎殖産工業の事情を兼ね、台湾台中県へ布教の儀願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ尋ねる事情には、これまで遠い話にも聞いて居る。事情一時以て尋ねるは、遠い話には、一寸追々の理ともいう。身上に一つの事情無ければ、何時なりと。さあ速やか許し置こう/\。

先ず以て諸井国三郎二十日頃より行く事願
さあ/\心得に委せ置くによって身上も壮健、皆々勇んで心事情、心一つ嬉しい。真実心理を以て鮮やかなら、何時なりと許し置こう/\。
【説明】
(1~2)諸井国三郎氏(山名大教会初代会長)が台湾布教の際いただいたもの。当時殖産興業の名目でなければ、布教のためにのみ行くことは許可ならなかった。天理教弾圧の秘密訓令が出たあとで、教勢は沈滞の極みにあった。氏はこの時こそと海外布教を企図した。五十七歳であった。身上に障りがなければ、いつでも行くようにと許していられる(その後身上にお手入れをいただいた際引き上げたが、現在の台湾の道の土台となっている)。 \n\n (1) 諸井国三郎氏 山名大教会初代会長。 日清戦争後の経済的な不景気と、更に内務省の秘密訓令によって、各教会は大きな打撃を受けることとなった。山名の教会もこの影響を受け活動は沈滞してくる。初代会長は明治二十九年、この普請を乗り切るための台湾の布教を決心し、海外布教の後援という趣旨のもとに山名婦人協会を設立して、その計画の実行をすすめた。この台湾布教計画に対して、当時の山名分教会の役員おやび部内一般の意向は、表向き不賛成を唱えるものはなかったが、この成果を危惧する念と、部内一般の教勢の不振沈滞のところへ大変なことが始まるという不安の思いとから、なるべくなら思いとどまってもらいたいという心持ちに一般が支配されていた(「山名大教会史」参照)。 (2) 遠い先の話のようにも聞いているが、追々実現されるであろう。身上さえ障りがなければ、何時なりと許しおこう。 (3) 身上も壮健で、皆々勇んで心一つに、この布教をすすめていく心がうれしい。真実の心の理が、はっきりとあらわれるなら、何時なりと許しておこう。
【摘要】
布教に関するおさしづは多くない。 これは、布教ということが当然のことであって、特におさしづをいただくべき事柄ではなかったためであろう。布教の心得を要約すれば次の通りである。 (1) 布教に行くのは暇つぶしに行くというのではなく、確乎たる精神が必要である。一人の人が真実の精神を定めることにより一国でも道がつく。 (2) 身上かりものの理を聞きわけて、親神にもたれ、いかなる所へも勇んで行き、先案じせずに通れ。 (3) 人間は月日親神の懐住まいをしているのであるから、どこにおっても同じこと。親神様、教祖がついているから心配はない。 (4) ふしがあっても精神を倒すな。再三再四道がつくまで頑張れ。ふしから栄えるのである。 (5) おぢばで勤めるのも地方で布教するのも、その人のいんねん次第である。 (6) いんねんによっては、布教に出たものも引き戻される。 (7) 教会長夫人は、よく教会の内部を治めてから布教に行け。治まらないままに布教に行くのはよくない。 \n\n  教会史を読ませていただくと、ほとんどの大きな教会は一度二度と、厳しい財政的な窮状を通りぬけて来ている。教会が財政的に困難な事情に面して、直接その問題についておさしづを仰ぐということは、非常に少ないようである。しかし、そのようなのっぴきならぬ苦しい事情の最中にあって、身上を通して会長、あるいはその家族、また役員などにおさしづを頂いているのが、かなりある。すなわち、そのおさしづに基づいて理に徹しきるところから、当面する教会の財政上困難な事情も解決を見、また身上のご守護もいただくという場合が多い。本項では、既に取り上げられているおさしづを除いて、いくつか教会史に照らして取り上げさせていただいた。  それらのおさしづの内容を要約させていただくと、 (1) 先案じせずにたんのうして通らせてもらう (2) たすけ合いの心で一手一つに心をつなぐ (3) 大きな心になって将来を楽しんで通る (4) どうなってもという一つの心(踏ん張る心)を治める (5) 運んだ理のこうのうは末代の理であると悟る このようなことが大切であると教えられている。

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