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巡査平服にて神様の由来を尋ねに来るに付願

さあ/\日々一人でない、五人六人も入り込んで居る。よって今はやしきの内成るだけ密そかにするがよい。今思案中である。思案出けぬ。世界の道は通りよい、通りよい道は修理肥。五十年の道は通り難くい、通り難くい道は心一つで通す。そこで世界の道は心に治め。五十年より無い道をよう思案して通らにゃならんで。
【説明】
(1) 世上応法の道は通りよいが、それは修理・肥として許してある。教祖五十年のひながたの道は通りにくいが、それは心一つで通す。したがって巡査が調べに来ても、世界の道は修理・肥であるということを心に治め、教祖ひながたの道を忘れてはならぬ。  明治二十一年正月八日、巡査平服で来たり、神の道を質問して帰りしにより、 あとにて伺のおさしづ参照のこと。
【摘要】
(1) 官憲の干渉は教内を掃除するふしであって「泥水をすっきり流してしまう」ようなものである。したがってそれは官憲の取り調べを受けているのではなく、親神が「取り調べさす」のである。 (2) 官憲だからと言って、決して、おめ恐れることはない。この道は何もないところから、幾多のふしを通って今日の道になっているのである。 (3) 官憲に対する時は、この世始めた元なるぢばに元のをやが踏ん張っているのだ、ということを心に治めて行くがよい。 (4) この道に反対する者も、親神の目から見れば、皆可愛いわが子である。したがって、お互いは皆、神の子であり兄弟である。たとえ取り調べに当たって、拷問を加えるような仇と思えるようなものに対しても、兄弟の理を治めて告訴などしてはならぬ。 (5) 官憲が、いかんと言えば「ハイ」、ならんと言えば「ハイ」と言うておけ。それによって、一つの理が定まるのである。神はどんなことも見ている。 (6) 教えの理を曲げてくるが、曲げたら曲げただけ、今後道の理が伸びて行くのである。 (7) 官憲の干渉によって教義や祭儀の変更を余儀なくさせられるが、子供可愛い親心の上から一時許すのである。 (8) 官憲の干渉を受けた時こそ、お互いが真実の兄弟であるという理を心に治めて、道の上に「一つの理の台」を作るべき大切な時である。心さえつなぎ合えば、道は開けて行くのである。

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