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飯田岩治郎の件に付、北分教会所の事情、会長初め役員五六名立会の上先々心得のため願

さあ/\尋ねる事情/\、いかな事情も尋ねにゃ分かろまい/\。分からんから事情尋ねる。尋ねるならば一つ事情諭し置こう。これまで事情年限数えてみよ/\。年限いろ/\の道ありて、もうどうなろうか知らん/\。その道連れて通りた道よう聞き分け。難儀不自由苦労艱難の道連れて通りて、種と言う。種無くして実はのろうまい。この理から万事聞き分け。これまで苦労艱難の種、種から積んで来て、それよりどういうものも生えるなれど、中に心の理によって生えん種もあろ。道という、道に我という理どうもならん。我は要らん。たゞ仮名な道に諭し置こう。分かりよい道に諭し置こう。子供でも直ぐに分かる。皆道に元がある。この道分かるなら皆一つ/\この事情聞き分け。一時尋ねる事情、人に事情結んだ。事情元々どういう理になる。元や。二つも三つも結んだ道やない。元かいしんからこの道籠りある。なれど、どうもならん。仮名な理に諭したる。来ん者に無理に来いとは言わん。来る者に無理に来なと言う道やない。又無理にどうせいこうせいとは言わん。来る者にどうせいとは言わん。無理に言わいでも仕舞には成りて来る。これまで皆諭したる。又、日々諭したる中にある。又諭して居るやろ。この理聞き分け。どちらやろう、こちらやろう、年限理数えてみよ。どちらやろうこちらやろう、こちらやあちらやと心の理が変じるから、心繋ぎが第一。すっきり繋いでくれるなら、万事これより道という。よく聞き取ってくれるよう。

北分教会事務所の東北の方に於て二間に五間半の建物願
さあ/\尋ねる事情/\、さあ集まる一つ理心得一つ理、事情建家一つの事情の尋ね。建家一つ重々皆許し置くが、一つ諭し置くによって、よく聞き分け。元々何処に有るか無いか、外に有るか無いか。この理聞き分けて一つ/\理を諭し、あちらやこちらや、そも/\一つの理治まり難ない。これ改めて道分かるなら、今一時に道治まる。万事一つ諭そ/\。よく聞き取って、一つ改めて重々一つの道と言う。
【説明】
(1) 前掲明治30・7・3からの一連のおさしづは安堵事件、いわゆる水屋敷事件をめぐって伺ったときのおさしづである。その事情とは、長年道の上に勤め本部でも要職につき、平安支教会長であった飯田岩次郎が、ある時「ここは水屋敷だ、水は火に勝つのだ」と称して異端を唱え、ぢばの理に反して信者を迷わす言動をとった事件である。 (2) 道の上で小さな自己に捉われ、「自分さえよければ」といった通り方をしていたのでは、どうにもならない。我は必要ないのである。 (3) こうした事情が起こった原因について、よく思案しなければならない。道で一番大事なことは、元の理を知ることである。道の元というのは、二つも三つもあるものではない。唯一の元から、この道が成り立っているのである。 (4) あちこちと心が、まとまらないから事情が起こる。だから皆心をつないで通ることが第一であり、そうしてこそ真の道といえるであろう。
【摘要】
道を辿る上で大事なことは、一手一つの和であると言える。ところが万一、いろいろな事情の中で、そうした和を欠き、道の理にそむき、道から離れて行くというような者があった場合、そのことをどのように思案し、また、それをいかに扱えばよいのか。これを飯田岩次郎・橋本清の二人にかかわる事件をめぐって伺ったおさしづを通して理解しようとしたものである。 (1) 道の上に我はいらない。自分勝手な心があるから道を間違うことになる。だから、そんなことがあったならば、できるだけ早いうちに治めることが大切である。 (2) 間違って道を離れて行く者があったならば、その者が長い年限の間この道につき、道の上でつくした理を十分に考えて治め方をつけて行くべきである。そのためには、どこまでもつないでいく努力をしなければならない。 (3) 元の理の納得を与えることが大事である。教祖の理、ぢばの理という道の根もとを、しっかり心に治めさせることが大切であり、それが治まっていてこそ、すべてが成り立つことを諭してやるべきである。 (4) それでも離れて行くのならば、もはや致し方がない。悪がはびこったならば、その波及するところは大きいから、人間思案の義理に流れ、誤った理をほかに重ねることがないように整理せざるを得ない。

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