おさしず検索


松村吉太郎身上願

さあ/\尋ねる事情/\、身上にどうも堪えられんという事情、前々以て諭したる処、皆んな一つ多くの中、事情どういう事も皆一名一人、たんのう治めにゃならん処諭したる。心一つ事情どういうもの一つ尋ねる。身上から事情尋ねる処、前々諭したる処に変わらん事情なれど、身上堪えられん。今どういう事という、尋ねる。尋ねばいかな事情であろうか。さしづからさしづから聞き容れて聞き分け治め。事情一時大層一つ事情であろう。まあ/\先々の処、満足与えば満足、心得ば心得。事情、満足程大きい事情は無い。不足は不足の理回る。不足の理回ればどうもならん。諭したる。一時の処、成る成らん日越さにゃならん。どうなりこうなり、日及んだる。そこで悠っくり掛からにゃならん。心にどうこう持った処が治まらん。そこで心結び合うたる処、これまで繋ぎ合うたる処、皆満足与え。満足些か大層と心に持って、大層は先に喜ぶ。喜ぶなら放って置けんと、これ心に持って。大層々々は、些か満足したなら放って置けんというは台。心出さにゃならん。これよく聞き取らにゃならん。

満足するに就いて、押して願
さあ/\まあ一つの事情に一時にどうしよう、これ出来るものやない。なれど、皆集まる処たんのう。たんのうはどういう事、日を送りたるにたんのうは言うまで。一つ大望治め掛けたる処、事情は大望々々ならん。寄り来る者にたんのう、これだけたんのう聞かしたら、皆喜ぶ理と満足理と分からにゃならん。皆心次第々々々に説いたる。これだけ分からにゃどうもならん。
【説明】
(1) 当時高安分教会普請中につき、部内先々も分教会と同様、教会経営が困難な状態であり、皆の精神が倒れている時であった(「高安大教会史・上巻」参照) (2) 先々に満足を与えれば満足となると心得よ。満足ほど大きく事情を片づけるものはない。不足をすれば不足の理が回り、どうしようもなくなる。今しばらくの間、なるだろうか、ならないだろうかというような経済的にも、きわどい日を過ごすであろう。しかし、どうなりこうなり日が越せて来ている。したがって、ゆっくりとした心で通らねばならない。そこで心を結びつないで来ている皆々に満足を与えることである。この満足が喜びの心を生む。少しでも満足したら神は放っておかない。そういう心を出すように。 (3) 寄り来る皆のものにたんのうということを聞かしたら、皆喜ぶ理と満足の理がわかる。それが大切である。
【摘要】
教会史を読ませていただくと、ほとんどの大きな教会は一度二度と、厳しい財政的な窮状を通りぬけて来ている。教会が財政的に困難な事情に面して、直接その問題についておさしづを仰ぐということは、非常に少ないようである。しかし、そのようなのっぴきならぬ苦しい事情の最中にあって、身上を通して会長、あるいはその家族、また役員などにおさしづを頂いているのが、かなりある。すなわち、そのおさしづに基づいて理に徹しきるところから、当面する教会の財政上困難な事情も解決を見、また身上のご守護もいただくという場合が多い。本項では、既に取り上げられているおさしづを除いて、いくつか教会史に照らして取り上げさせていただいた。  それらのおさしづの内容を要約させていただくと、 (1) 先案じせずにたんのうして通らせてもらう (2) たすけ合いの心で一手一つに心をつなぐ (3) 大きな心になって将来を楽しんで通る (4) どうなってもという一つの心(踏ん張る心)を治める (5) 運んだ理のこうのうは末代の理であると悟る このようなことが大切であると教えられている。

TOP


お道のツール