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山田作治郎身上の願

さあ/\尋ねる事情/\、身上に一つ事情心得んという。事情以て尋ねる事情、さあ/\いかな事も万事一つ諭し置こう。よく聞き分けにゃ分かり難ない。これまで長らく道すがら/\、どういう事こういう事、年限の内道の中、年限一つ事情、これまでこうでありた、こうなりてこうという事情諭し置こう。よく聞き分け。どれだけの者でもこれだけの者でも、この道始めた理聞き分け。道は一つ万事事情、一時世界に有る理か、無き理か。一つ理で、何処から何処まで、あら/\一つ来たる中に、なあ心得ん/\。これは心という道ありて、心というはどうもならん。神の道と人間心ところっと違う。皆つかえて居る処、互い/\諭し合い伝え合い、一つ心に諭したいから事情という。身上は案じる事要らん。皆んな道という、一つという理、万事伝えてくれるがよい。よく聞き取れ。
【説明】
(1) 知者・学者も無学な者も、どんな者も皆もともと、この道を始めかけた理を聞き分け。道は万事この理によって治まりがつく。 (2) 神の道と人間が人間心で勝手に考えることとは全く違う。神につかえる者は皆、互いに諭し合い、また親神の思召しを伝え合って、一つ心になって通れ。
【摘要】
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。  お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。  会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。

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