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梅谷分教会事情に付本部員の心得までに伺(分教会建物奈良移転事情に付、笹西の件、部下の件、村方の件等事情申し上げて願)

さあ/\尋ねる事情/\、さしづを以て事情こうと言う。言えば心も治まるやろ。なれど、よう聞き取れ。一度重なる者呼んで事情心得によって行かにゃならん。多くの中には善き理もあれば、悪しき理もある。心の理は散乱の道、散乱の理が根という。よう聞き分け。一つの理を治めずして、理をば計ったか、事情治めずして事を計ったか、所にそれ/\教会という。皆んな役員集まりの理、鮮やかならんから一つの事情という。難儀不自由も救けにゃなろまい。今一時の事情、どんな事言うも道という理に集めるなら、先々どれだけ大きな理に成るとも分からん。一口の諭幾重の理にも諭し置こう。さあ/\治めて来い/\。

押して、難儀不自由と申しますは笹西の事情に御座りますや
さあ/\尋ねる処/\、どうも一時は心得ん。こういう事情とは知らず、人の理に紛らされ、心の理は散乱である。一時尋ねる処、そんならこれだけという、どれだけという、大小の理は立てにゃならん。なれど、難儀不自由の理は、理を変えて救けるという心の理を以て治めてやれ。数々の話長くなると分からん。委せ置くから穏やか/\。
【説明】
(1) 前掲おさしづ註のごとく、梅谷の信者はおぢばを中心とした信仰につながる者と奥六兵衛氏につながる者の二つに分かれ、前者は駒谷忠四郎氏を中心とする人々であり、講社は笹西治郎兵衛氏(梅谷初代会長)を中心とする人々ではなかったか。笹西氏は明治二十九年十一月会長辞職願を出し、笹西氏以下昔の信仰者の資産家たちは、おぢば中心の信仰を離れ神習教会に集まった。どうしても奥六兵衛氏との関係を断つわけにいかなかったらしい。この事情と共に、当時の地理的関係によって分教会を奈良に移転を希う者と、不賛成の者との二派に分かれ、賛否をめぐって相当の混乱をきたし、結局移転地を奈良に決定したが、反対派の役員は引退、信者は離散、講社は他系統に転属するなど事情が続出して、梅谷の教勢に大打撃を与えた(「教会史資料(三)」および高野友治著「天理教伝道史Ⅱ」参照)。 (2) この道の理を心に治めずに、他の教えの理(神習教)をもって考えを進めていないか、この道の理によって事情を治めずに事を計っていないか、よく思案せよ。国々所々に教会の理を下ろしてあるが、これはみな会長を中心に役員、信者の一つ心に集まった理に許してある。この理がはっきり治まっていないから、こういう事情となっている。 (3) どんなことも、この道の理に皆の心を集めるなら、先々どれだけ大きな効能の理となるかわからない。 (4) 事情をはっきり知らないままに、人の心に惑わされ自分の心も乱れてしまったのである。 (5) 笹西の難儀不自由を助けるのに、どれだけの援助をするかというのは、その者のつくした理によって大小はあるけれども、今難儀不自由しているものを助けるのには、つくした理の大小にかかわらず、その理を変えてでも助けるという心をもって治めてやれ。
【摘要】
本項では(3)教会事情の中で上げた後継者、担任、移転、教会経営、分離、昇格、所属変更、制度、改称の各講で取り扱わなかった教会の治め方に関するおさしづを、ここにまとめてあげることにした。  お諭しの内容から見ると、上各項の補足的なもの、また重複すると思われるものもあり、内容的には、講名の統一、教会の焼失、財政的行き詰まりのふし、会長と役員、役員と部内教会長の軋轢等々、その事情も雑多である。したがって要約も、ほかの項目のごとく直截にまとめることは困難で、それぞれの事情に対する神意は、それぞれのおさしづの註に記したところであるが、取り上げたおさしづから、あえて治め方の共通点を大雑把に拾えば次のように考えられる。 (1) 教会の治め方は、まず心を一つに寄せることが肝心である。何人いても皆が、心を一つに揃えて事に当たるなら治まりがつく。 みんなが身も心も治め方の上に力をつくすことが肝心。 理の上から強引に治めれば、大抵は通れるけれども、みんなの心をつなぐことが大切である。 (2) 教会が治まらないのは、互いに真実の心がないからである。誠一条の真実の心があれば、どんな難しい事情も治まる。一人でも真実の心の者ができたら、その心に乗って親神は十分守護下さる。 (3) この道に手引かれた元一日の心、また教会の理を許された元最初の理を、よく心に治め、その精神を台として治めるよう。 (4) あちらこちらの言い分を聞いてばかりではいけない、ぢばの理をもって治めるよう。 (5) 人と人との間柄は、皆互いに諭し合い、親神の思召しを伝え合って、一つ心に持ちつ持たれつ、互いに、助け合っていくのが道理である。この心が楽しみの理となる。  会長・役員・信者の間も、それぞれ、会長があって役員・信者があり、役員・信者があって会長がある。互いに我を張るのは理に添わない。互いに持ちつ持たれつ、たすけ合って通るのが治まる元である。 (6) 事情治めには旬がある。旬をはずさないように治めるよう。 (7) 無理に一時に治めようとしても行けない。急いで一時に言いたてれば、かえって事情のもつれが大きくなる。日に日に勤め、今年いかねば来年と、天然自然の理で治めるよう。 (8) その時その場の一時の思い立った理で治めても、その場は治まるが、いついつまでも治まる理にならない。教えの理を十分に聞かし、真実精神の理を積むよう、それを台に治めにかかるよう。 (9) ふしは理の伸びる転換期である。ふしからよい芽を出すのは皆の心の理にある。ふしに勇み心を入れ替え、みんな心を一つに理に添うていくなら、いくらも理は伸びる。 (10) 教会を取り消されても心さえしっかり理につながっていれば、長い間ではない、すぐ復興の守護を戴ける。

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