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村田慶蔵宅日々客少きに付、暇の間に林由松、道のため布教に出て、徳積み重ね度くという常の心得に付出ると申し長崎の方へという処、いろ/\申し上げ願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ道の事情、一つの事情尋ねる。さあ/\よう聞き分け。内々にも心得事情、諭す事情聞かす。暇になったさかいにどうと、これはどうもならん。用が無いさかいにと言うてゝならん。そういう日々の処ではどうもならん。よう聞き分け/\。一人の心にて成ったと思えばしょうまい。又思わりょまい。暇になったさかいにという事情ではならん。一度の理、二度の理、三度重なれば、どうもならん。よう聞き分け。表口締まるも一人、裏口締まるも一人、内らの中締まるも一人、三つ一つの理、締まるのは寄り来る道理聞き分け。寄り来る処に、門口の締まりも、中の締まりも、裏の締まりも、この理取り違い無いよう。何か聞き分けて、心得まで諭す。十分の理に諭すによって、よう聞き分けくれ。一時出越してどうしてという。無理にどうと言えん。一時道の上から言えば、どうや暇や暇やと言う理は、道理よう聞き分け。三つの理諭したる。これ、しいかり聞き分けさせ/\。

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さあ/\そんな心から取り違い出ける。よう聞き分け/\。もうどうであると、思やん取り損い。よう世界から一つ理、国々から一つ理聞き分け。どうで一つ年限の中、今年はと言うても無い事ある。又これではと言うて居ても、今年よかったという。分かりたらよい。そんならどうである。世界内要らんというは、取り損い。取り損いは不足出る。元々取り掛かりた処から聞き分け。又世界十分、道のため尽した理、運んだ理も聞き分けば、成程と鮮やかという。
【説明】
(1) 村田慶蔵氏宅は当時おぢばに帰参した信者の宿泊所となっていた。布教に出るのには、確乎たる信念がなければならぬことを諭されている。
【摘要】
布教に関するおさしづは多くない。 これは、布教ということが当然のことであって、特におさしづをいただくべき事柄ではなかったためであろう。布教の心得を要約すれば次の通りである。 (1) 布教に行くのは暇つぶしに行くというのではなく、確乎たる精神が必要である。一人の人が真実の精神を定めることにより一国でも道がつく。 (2) 身上かりものの理を聞きわけて、親神にもたれ、いかなる所へも勇んで行き、先案じせずに通れ。 (3) 人間は月日親神の懐住まいをしているのであるから、どこにおっても同じこと。親神様、教祖がついているから心配はない。 (4) ふしがあっても精神を倒すな。再三再四道がつくまで頑張れ。ふしから栄えるのである。 (5) おぢばで勤めるのも地方で布教するのも、その人のいんねん次第である。 (6) いんねんによっては、布教に出たものも引き戻される。 (7) 教会長夫人は、よく教会の内部を治めてから布教に行け。治まらないままに布教に行くのはよくない。

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