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増野正兵衞十五日前より目かすむ又左の肩首筋へ瘤のようなもの出物に付伺

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\身上に事情、尋ねる事情どういう事であろうか、どういう事情であろか。身上から事情、尋ねる事情は身上から尋ねば成程事情定まらにゃなろまい、治まらにゃなろまい。事情内々事情長らえて/\、どうやろこうやろ言い/\日を送り、年限どうなりこうなり、安心一つ、日々分かりあるやろ。又めん/\それ/\霞む/\。一寸事情一寸出物という。それ/\よく事情諭さにゃならん。諭せばそれ/\、今日さしづ一席事情身上案じる事要らん。案じる事要らんが、万事さしづ理は刻限事情ともいう。事情日々事情つかえ席順席に一寸諭す事出けん。晩明日尋ねば詳しい諭さにゃならん。もう詳しい諭す事一寸行かん。筆二人三人まで持たにゃならん。詳しい諭さにゃならん。洗い掛けたるから、日々治めにゃならん。さしづ夜分明日と言わず、それ/\出てる者どうもならん。又戻りて居る者どうもならん。内に居る者皆んな尋ねに来るがよい。心得んと言えば、心得んという理が回るという。今日の一席二席日々働き、そこで、悠っくり皆んな揃うて尋ねに出るがよい。
【説明】
増野正兵衛、本部員。 夜分に、出張しているものや、帰宅しているものは構わないが、お屋敷にいるものはみな揃ってたずねに出よという意味である。目のかすむのはこのおさしづだけでは不明で、次のおさしづを参照しなければならぬ。
【摘要】
要約 目に関するおさとしは多い。おさとしを読みつつ痛感することは、ふじゆうなきようにしてやらう かみのこころにもたれつけ 九下り目 2 のお歌である。信心の要は、親神の心にもたれつくことであるが、実はこれが容易なことではない。人間思案の特色、それは案じ心であろう。目のおさとしの中心となるのは、案じ心を捨てよということである。具体的に云えば、子供の将来について、世間と見較べて、家内のこと、また教会内の事情を見て、あんじてはならぬとされている。更に、他人の欠点は見るな。親不孝をするな。因縁の自覚をせよ。お屋敷の理を明らかにせよ。などの例があるが、要するに、目は見るものであるが、それを悪用して人間思案におちいることなく、どこまでも、理を見つめて各自のいんねんを自覚し、親神にもたれて行けという意味のおさとしで、 なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする 三下り目7 というお歌の意味を、真に納得できれば、御守護いただけるであろう。身体に備わった九ツの道具は、陽気ぐらしをするために、親神様よりお貸し頂いていることを忘れてはならない。陽気ぐらしのできるように使っていけば御守護をいただけるのである。ところが欲の深い人間は、それを使ってかえって心をいずませ、不足するようになりがちである。

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