おさしず検索


伊勢大廟内宮火災に付、教長火事御見舞として御出張御許し願

さあ/\尋ねる事情/\、どうも心得ん事情、心得ん事情だけ一時事情、心得んまで委す。気休み一つの理許し置こう/\。

随行員として増野正兵衞、篠守乗人の願
さあ/\願通り許し置こう/\。さあ/\又一つ一寸事情、さあ/\あちら不思議を聞く。こちら難を見る。よう心得て聞いて、何処にどういう事、ほのかに一つ心を治めばよい、というようではどんならん。毎夜々々諭したる。どういう事こういう事ならん先から道のため、早々それ/\心話しまで無い。いつ/\の席に一つ道理些かなる道理聞かしてある。これから道の理、心誠より無いで。皆尽し合い互い互い理の尽し合い、一つこの理たゞ聞き分け。これより押して、くどう/\話して置く。
【説明】
(1) 世上では、あちらに不思議な出来事があったと聞く。こちらに災難があるのを見る。世上の出来事に対して、よく注意しておくがよい。それをただ、どこにどういうことが起こったと、他人事のように見過ごすというようではならん。どんなこともこんなことも、そうならぬ先から理合いを聞かしてある。 (2) これから道というものは、誠の心しかない。皆互いに真実の心のつくし合いしかない。この理合いを聞き分けてもらいたい。
【摘要】
おさしづには出張、派出、巡教、巡回など、外へ出向いていくについての伺いが割合多い。出張に関しても対外的出張と対内的出張とに分けることができる。体内的とは教内・教会先々への出張である。  さて「教外出張」として扱う対外的出張でおさしづに多いのは、明治二十一年の東京仮本部設置に当たっての上京伺い、また神道本部局への出張、および明治三十二年より始まる一派独立運動のための出張である。ところで、ここに事例として挙げたおさしづは個々に、それぞれ問題点を含んでいるので一括して要約することは難しい。むしろ個々のおさしづに現れた、それぞれの神意を理解することが適当であると思われる。教外出張に当たっては、信者取締りもあれば、事件解決のための出張もあれば、地震や火事見舞いもある。  滋賀県下信者取締りに出向くに当たっては、生涯末代の理をつくらせていただくという心構えでいくよう(二二・一二・一四)仰せられ、濃尾大地震には、早く運べ、真実を受け取る(二四・十・三一)、伊勢火事見舞いでは、道の理は誠心よりない。誠心のつくし合いが肝心だ(三一・五・二四)と、心の持ち方を注意されている。  信者が拷問を受けた金山事件には、仇も皆神の子供であり、兄弟の中の刃物三昧で一人でも傷つく者を出してはならぬと告訴を中止された(二六・六・二三および二七)。  浪花新聞の本教誹謗に対しても、子供が物をほしがるようなもので、道の者は「明日やる拵えてやる心ばえ」で通るよう。そして元のぢばに元のをやが踏ん張っているから理が伝わるのであり、心配はいらぬ(二八・一・四)。橋本事件については「万人の中一人以て防ぐは神の力、神の理」と、親神の親心あふれる神意と、ご守護の絶大さを示されている。  所詮、人間は親神のふところ住まいをしているのであり、この世は神のからだである。  対外的難問題に対処する場合も、このことを心に置いて立ち向かっていくことが肝要であると思われる。

TOP


お道のツール