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新聞社より願い来たる処の願

さあ/\尋ねる処/\、もう尋ねる事情には、さあ/\まあ些かなるという。事情これはまあ一つ些かなる事情は、それだけ一つ事情は、先々事情にもあれば、何処にもある。それは日々思て事情、これは些かなる事情である。そこで何ぼ些かなる事情でも、道理に適わん事情はどうもならん/\。好いてどうしょうと思わんなれど、事情によって余儀無く事情々々、先々事情、一つまあ/\一つで治まったる理によって、理に理思わん理ある。これどうもならん。これ思わにゃならん。
【説明】
(2)好きこのんでどうしようと思わなくても事情によっては、やむを得ずできてくる問題もあり、先々の思惑も考えておかねばならぬ。このような問題は誠の心で処置するところに治まりも見られるので、こちらでこう思っても、あちらでは合わんということもある。先案じをしてはよくない。
【摘要】
「教政」という項目には、教会を治めて行く上での政治的事情のおさしづが入る。その大部分は神道本局との交渉関係のものである(これは全部本部関係のものであるゆえ、ここでは省略する)。ここには、広い意味の教政の中で出張の項目に入らないものを雑然と上げさせてもらった。教会本部関係のもの、一般教会の場合に適用される悟りが得られると思われるものを含めた。  具体的に言うと、 (1) いろいろ先回り、先案じをするのはよくないので、誠心誠意低い心になって事に当たるべきである。 (2) 悪でも善で治めることが大切である。 (3) 社会のしきたり通りで済むことは、その通りにする。 (4) 社会の人々の心に納得と安心が行くようにする。 (5) 事情がどういう事情か見分けて、お道として当然なすべきことは、旬々の理に従って対処しなければならない。 というような点を、お諭しになっておられる。  また関心の高まっている対社会問題については、ここには載せてないが日清・日露の両戦役に関するおさしづ等も参考になろう。一般的に言って、応法と言われるような事情については、付き合いとして処置せよというお諭しが多い(「あいそ」という言葉が使われている)。あまり社会的問題に深入りしないように戒められ、常に神一条の精神でたすけ一条の事情として処置することの必要を強調されている。

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