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学校設置の願

さあ/\尋ねる事情/\、どうも一時の処は、どうも一時の処はだん/\尋ねる処、これ一時に許そうという、一つの理はどうも計り難ない。時日の理を聞き分けて、諭す理は心に委せ置こう。一時そんなら直ぐと設けと言えば勇むやろう。なれど元元通りた理聞き分けみよ。何も無い処からどうなりこうなり、あれこれどんな年もあった。どうもならん処から、ほんの気休めを付けてある。心に治めて今日の日、良き日ばかり物見見物のような心ではいかん。それでは将来の理治まるか治まらんか。そんならどうしたらよかろうと思う。ほんの仮名な理から諭そう。生まれ出し生まれ更わりの理まで、だん/\諭したる。一時の処事情がならんと言えば、一時心の休めは出けようまい。これも一つ話にして置かにゃならん。どうもならんから、世上には、この道一時の処、今日の日遁れられんと言えば遁れられん。どんな辺所へ出たとて、自分一つやろうという心あれば、鮮やかなもの。一時そんならと言うて許したら、これまで年限の理が薄うなる。これが残念。今日の日どんならんと言えば尋ねる、話し諭す理、皆んなそれ/\所々には辻々があるようなもの。道先々龍頭出けたようなもの。一時願うた処がこういう理であった、と諭さにゃならん。これまでこうしたのに、許し無いためこうなったと言えば、一時心が治まろまい。一時細々の理、ほんの応法の心を以てすれば、皆んな心に道理という。一時道理として許し置こう、許してやろう。
【説明】
(1) 学校―四年制の天理教校。  本教の学校設置の問題は、明治二十七、八年ごろから本部の一部の間では話題にのぼり神意を伺ったこともあるが、お許しはなかった(この時のおさしづは現在のところ見当たらない)。  このおさしづのお許し後約一年を経て、本教の一派独立請願のために急を迫られ、明治三十二年八月九日第一回の独立請願と共に奈良県庁に天理教校設立請願書を提出。九月二十六日認可を得る(「高安大教会史・上巻」「天理教校五十年史」参照、以下同様)。 (2) すぐに設置せよと言えば、みんなも勇むだろう。しかし、もともとこの道を通ってきた道すがらをよく思案してみよ。何もないところから始めかけて、どうなりこうなり通って来、道中にはあれこれどんな年もあった。どうにもならない事情から、ほんの気休めの道として応法の道をつけてある。その神の思惑をしっかり心に治めて、みんなが通って来たから今日の日となったので、好い日ばかりと思ったり、物見遊山のような心でいてはいけない。 (3) 人間が生まれ出、また生まれ更わるのは、すべて親神の守護によるものであることは、だんだん諭してある。 (4) この学校設立の問題も今日の道の上からすれば、のがれられないことだと言えば、のがれられんことであろう。どんな辺ぴな所であっても自分自身一つやろうと言う真実の心があれば、難しいと思われることも鮮やかである。そんならと言って、この際許したら、これまで言っている年限の理が薄くなる。そうなったら残念である。 (5) 一時個々の道ではあるが、ほんの応法の理としてすれば、みんなも世間的な道理として得心いくだろう。いま一時道理として許しておこう。
【摘要】
教育の問題では、一、教育施設についての問題と、二、個人の教育に関しての問題とに大別できる。 一、 教育施設についての問題については、本教の教育施設の嚆矢は明治三十三年四月一日に開校した天理教校であるが、おさしづには先に挙げたように、この天理教校の設置、資金募集、開校式、校舎新築などについての一連のおさしづがある。これによって学校設置、教育についての神意は、おおよそ次のように考えられる。 (1) 学校は一時応法の道として許そう。 (2) この道の仕事は、みなその理の成ってくる元がある。それは、すべて神の思惑から出たもので、神一条の順序の理によって、すべて成ってくる。神の思惑を悟り、人間思案に流れず、応法の道は応法の道として心し、あくまで神一条を忘れぬように。 (3) 皆寄り合って心を揃え、面白く楽しくやるように。皆喜んでするなら、どんなことも日々神が連れて通る。 (4) 校舎は初めから大きいことは考えないように。初めはざっとした間に合わせのもので、雨露さえ凌げたらよい。小さいところから、ぼつぼつしていけば、そこに楽しみもある。 (5) 教育にあったては、できるだけ多く教理を聞かし、どの子供もこの子供も皆、道の柱となるように仕込むように。しっかり仕込んだら、それだけ働きのできる道になる。 二、 個人の教育に関しての問題については、そう多くのおさしづはないが、その中から要点を拾ってみると、次のように考えられる。 (1) 道の者が教育を受ける場合、どこの学校に行くかは、それぞれの思うところに任せる。 (2) 学問のあるものを重宝がる傾向があるが、お道では学問のある者もない者も同じことで、皆めいめいが道の理を積むことが大切である。道の上の仕事は、皆同じ理である。 (3) 道の者は何事も一般のことは、ほんの一通りできたらよいので深くはいらない。大切なのは道の仕込みを、しっかりすることである。 (4) 学問の道もしばらくはよい。道の者は、その短い期間を三倍にも値するように、精出して励むことが望ましい。

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