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諸井国三郎一昨日歯痛み又政一出物痛みの処願

さあ/\尋ねる事情/\、どうも身上に長らえて事情いかなると思うやろ。又一日の日以て尋ねる。身上替わりてめん/\それ/\事情、皆んな揃うて一つ理を集めよ/\。以前々々何年以前後という、遠いようなもの、もう以前後思やん。どういう処から始まった。以前ほのか事情々々、それから年々の道という。年々事情によって親子一つ事情という。この事情聞き分け。いんねん道の理、いんねんの理以て寄せたる。これで将来一つと心治め。身上の処どうなろうと案じる。案じてはならん。こんな事更に無かった。いんねん理以て寄せたる。こんな事と更に知らなんだ。いんねん事情から将来の事情治めば治まる。いんねん聞き分けて、又たんのうせにゃならん。
【説明】
諸井国三郎、山名大教会初代会長。 どういうところから道がはじまったか、以前の事を思案してみよ。以前ははっきりとしなかったが、それから長年お道を通りいろいろの事情を経て、道の親子というものが出来た。この事情をききわけよ。因縁は道の理である。親子となるのはの理によって寄せられたものである。道の親子はいんねんの理をききわけ、又たんのうせねばならないという意味で、国三郎氏の歯痛は道の親として道の子と合わせる事、子息政一氏の出ものは道の子は道の親に不足してはならぬ、道の親子はいんねんを自覚してお互いにたんのうせねばならぬ事を指示されたのであろう。
【摘要】
口に関するさとしは、内々の治まりについてさとされているのが多いが、歯も口中にあるものとして、内々(家内、教会、お屋敷のうちら)の治まりについてさとしていられるものが多い。その治まりは、各自がいんねんを自覚して勝手気ままをせず、よくたんのうの心を治め、神意を中心として一手一つになる事によって得られるのである。歯はかみ合ってこそ咀嚼ができるのである。従って一本では如何に丈夫であっても役に立たず、かえって邪魔になるかもしれない。合わせることー神意に合致すること、又お互い同士の心を合わせること(一手一つ)ーを指示され、又各自のいんねんを十分にかみこなす(納得する)ことを指示されていることは、身体の機能と関連して、さとしの妙味というべきであろう。世界一れつの人々のたすけ合うところに、不思議な親神様のおたすけをいただくことが出来、かくて陽気ぐらしがこの地上に実現されると教えられる本教信仰生活上、一手一つの大切なことは今更申すまでもないことあろう。

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