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檪本梶本宗太郎家族共本部へ引き越しに付、後の処浅田徳二郎へ委して引き越さして貰う願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\悠っくりと筆に取らにゃ分からん。一代々々又一代暮れて、言えば二代三代、事情何代経ったて、どうでもこうでも成って来るが理。所という立ち越してこちらへと言う。どうもこれまで遅れてある。言えば三代の理に成りたる。早く心に成ったら、心の理悠っくり諭す。これまで無き事言うやない。三代後この理ほのか/\経ち、又年限経ち、よう/\生えて立ち帰った理。このやしき、元々始めたやしき。よう聞き分け。これからという心以て、順序始め掛けるという理、一寸理に諭して置こう。どれだけ良い木/\と言う。やしき楽しむ理諭す。この木十分々々と思たて、それ大層経った木でも、心が治まらにゃどうもならん。親から蒔いた種から、年々という心の理によって育つ。年々によって何処から眺めても成程というは、この道木に譬えてあるが人に諭す。又他に取次役取次役、順序諭さにゃならん。このやしき世上の一戸、芯というは違う。一戸芯ではない。重なる理も同じ事、この道の理ありて理ある。入えったさかいにこれもこれもと言うた処が、理が無くばならん。何程大き木植えた処が水上がらにゃどうもならん。庭先々々へ植えて楽しむ事出けん。年限である。又内なるしんばしら、楽しむもの蒔いて、楽しむという心、最初から大きいものは無い。この道道理から出けた道、これ聞き分けてくれ。日々旬増さにゃならん。これ分からんからどうもならん。よう聞き分け。物蒔いた処、人に育て育てゝ貰わにゃならん。これ聞き分け。これ最初から、さあ/\と言うた処が育たん。育てるのやない。そら倒かすのや。崇めるも聞き分け。植木同様なもの。さあ/\何時なりと/\。さあ/\許そ/\。

前御願い致しました通り二階の南へ引き越しさして貰います願(小二階の方へ)
さあ/\尋ねる/\。掛かりというは年限相当、年限無くばあたゑと言えん。年々理によって理回さねばならん。積んだ理が光り、心が年限経てば、これだけ与えて貰うたという。年限通らにゃならん。その日から植えた処が、水が上がらなんだらどうもならん。一日種蒔いた処が、その日から一人前と言えん。草生えから出た処が何もならん。年限によって成る。万事、しんばしらにしっかり言うて置け。これから万事楽しめば、又楽しみの道がある。これよう聞き分けてくれ。
【説明】
(1~2)梶本家をおやしきに引き寄せる話は、惣治郎の代からの話であり、二代目松治郎の代にも果たせず、遅れ遅れて三代目の宗太郎の代になったが、親神の思召しの上からなさることは、どうでもこうでもなってくる。櫟本の住まいよりお屋敷へ引き移ると言うが、それは早くから言っていることである。遅れ遅れて三代目になっている。このおやしきは元無い人間・無い世界を始めたやしきであることを、しっかり心に治めておかねばならぬ。 (3)梶本家は親々の代から道に種を蒔いてきた理から、年々心の理によって育つのである。そして今日の日になったのであるから、その理を失わぬようどこから眺めてもなるほどの者やというようにならねばならぬ。 (4)このおやしきでは世間の戸主とは違う。おやしきへ引き移ったから、これもこれもと言っても理がなければならぬ。なんぼ大きい木―理のある者でも、本人の努力によって自ら水を吸い上げる力が出来てこなければどうもならぬ。庭先へ植えて楽しむことは出来ぬ。 (5)おやしきへ入り込んでも人様から育ててもらわねばならぬ。初めから理があるからと言ってちやほやしては育たぬ。そういうことをすればたてごかしにするようなものである。崇めるのも程々にし、植林同様手入れをして、しっかり仕込まねばならぬ。 (6)小二階の方へ引越しすることは許す。しかし年々しっかり理を積み、理に理を増すよう勤めてくれるよう。積んだ年限の理が光となるのであるから、年限を通ってくれ。また植えた木も自分の力で水が上がらねば駄目である。種まいてその日から一人前とは言えないのである。年限を積んでこそ、ものになるので、真柱に万事相談せよ。何事も楽しんで通るよう。そうすれば楽しみの道が見えて来る。  梶本一家はこの年(明治三十二年、宗太郎氏二十歳の時)一家挙げておぢばへ入り込んだ。入り込み後、筒袖でふき掃除、はき掃除、使い歩きなど勤め、紋付の羽織など着たことなく、羽織と言えば縞の羽織を着るのが一番儀式ばる時であった由。
【摘要】
親神の深い思惑から身上・事情にお手入れをいただき、道に引き寄せられ、更に一段の成人を望まれると、旬がくるや待ったなしに道一条にならざるを得ない。この道一条の具体的な形として、教会入り込み(住み込み)ということになる。  飯降伊蔵様はじめ、教祖のおそばにお仕えなされた道の先輩先生方は、はじめ道に引き寄せられて遠方から通われるうちに、だんだん道のご用も繁くなり、徐々におやしき入り込みとなられた方が多い。ここには、」その中のごく一部のおさしづを採録したに過ぎないことをお断りしておきたい。  さて伊蔵様は、元治元年入信以来おやしきへ通われた。 「丸九年という/\。年々おお晦日という。その日の心、一日の日誰も出て来るものもなかった。頼りになる者無かった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりて、よう/\髄いて来てくれたと喜んだ日ある。」(明治34.5.25)  飯降伊蔵様は教祖から親子揃うて早くおやしきへ帰ってくるよう、たびたびお言葉をいただかれたにもかかわらず、道のどん底時代のこと、秀司先生ご夫妻への気がねもあり、親子もろとも移り住むことは教祖にご心配をかけることになるとて逡巡せられたという。しかし明治十四年伊蔵様の家族の身上障り(伊蔵様の腰痛、二女まさえ姉の眼、政甚氏のにわかに口がきけなくなった障り)によって、いよいよ心定めせられ、伊蔵様ご自身が櫟本を引き払っておやしきへ伏せ込まれたのは明治十五年三月であった。伊蔵様五十歳、おさと様四十九歳の時である。かくのごとく伊蔵様は入信以来二十年間櫟本から通われ、その後おやしきへ伏せ込まれることになった。本稿の「教会入り込み」事情の中には、伊蔵様のおやしき伏せ込みについては触れていない。  ところで、教会入り込み(住み込み)事情に関しては、 一、 おやしき入り込み 二、 地方教会入り込み の二つに分けることが出来る。また、教会へ入り込みをする立場の者と、それを迎える側の立場とある。  ここで前掲おさしづによって要約すると、次のことが言えると思う。教会入り込みにあたっては、 (1) 一つの理(親神様の思召)を心に治めること (2) 元一日を忘れず将来末代道のご用に勤めさせて頂くという決心を固めること (3) 住み込み人は理を積み重ねなければ、教会に置いてもらいたいと思っても置いてもらえないこと (4) おやしきに入り込ませていただく者は、どれほどの理がある者でも、ぢばの理が心に治まらねば駄目になること (5) 入り込み人を迎える立場の者は、一つの理(親神の思召)を心に治めてそだててもらいたいということ このような点を心して通るよう仰せられているよう拝察する。これは道一条を通る者の心すべき点、すなわちいんねんの自覚とその洗いかえ、まただめの教えたるゆえんを、よく心に治めるという点に帰するものであろう。(金子圭助)

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