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南海分教会長山田作治郎身上願

さあ/\だん/\尋ねる事情、だん/\尋ねる事情/\はもうだん/\迫り、余程順序に迫りたる処も、一度二度もう/\いつやら知れんという処まで諭したる。どうでも心休め。早くというさしづ及んだる。その間の年限、一二年というやろう。身の迫りから何でも彼でも心休ませという理諭したる。これだけ諭したるという。楽しんだ日一時迫りだん/\それ/\尽す運ぶ中へ話してある。もう本部員々々々。このたんのう分からんか、たんのう分からんか。もうどうでもこうでも十分の理治めさしたる。まあ一日なりと/\勤めたらと言うやろう。だん/\運んだ尽した。遠く所より厭わず尽した理、一日将来の楽しみ渡してある。今一時尋ねる。皆々よう聞き分けてくれ。半ばであったらなあ。だん/\諭したる。又、小人たるこうであった。そら余儀無くの半ばであったらこうという処、聞き分け。同じ手を繋いで通り、これを眺めて満足してくれ。ほんに後々理、これ聞き分け。道の理というは、将来離そうにも離れやせん。取ろうと言うても取らゝせん。そんなら道あれだけ運び苦労したものなあ、と言う。よう聞き分け。道を始め掛け。一つ/\の理将来の理の台とすれば、末代の理。又それ/\役々拵えた理、末代の理に治まる。これよう聞き分けてくれるよう。
【説明】
(1) 山田作治郎氏 南海大教会初代会長。 (2) 身上もだんだん迫って、その間一、二年と思われるから、なんでも心を休ませるようにと諭してある。楽しんだ日があったが、一時身上が迫って来ている。本部員にも登用している。よくたんのうするように。もう十分の理を治めさせてある。遠い所から厭わず運びつくした理は十分に受け取って、将来の楽しみを渡してある。もし、この道の中途で出直していたらどうなっているか。今日までならん身上を守護し、皆々と共に今日の結構さを見せていることに満足するように。道につくした理は、将来離そうともっても離れず、取ろうと思っても取られるものではない。南海大教会を始めたその理は、将来末代の理に治まるものである。このことをよく聞き分けて、よくたんのうするように(「南海大教会史・第一巻」参照)。
【摘要】
(1) 出直しはすべて、その人のいんねんに基づいて、親神のなさることである。出直してもまた、この世に生まれかわらせていただくのであるから、この事情を一つのふしとして神意を悟り、よくそれを心に治め、たんのうして勇んで通ることが大切である。 (2) 親神は早く出直すところを、その人の心定めに応じて、引き伸ばしてくださったり、また身代わりの出直しをさせてくださることがある。いずれも親神の守護によるものである。 (3) 出直しという事情に際しては、お互いに淋しい思いをさせず、皆が心を寄せ合い、たすけ合っていくことが大切である。 (4) このお道は将来末代の理であるから、どんな難儀不自由の中も、将来を楽しんで勇んで通っていくことが肝要である。

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