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上原伊助妻ミツ二十三才身上願

さあ/\尋ねる事情/\、身上事情尋ねる。いかなる事情、一つ理尋ねる事情諭す。いかなる。さあ内々身上事情、内々事情一つ事情堪ゆるに堪ゆられん事情、一つ余程事情大層である。いかなる一つ事情成らん事情/\、成らん成る道の中に、いかなる事情も問い、問う道筋にはどんな一つ道筋もある。踏み止めてくれ/\/\。踏み止めにゃならん。何処から此処から理治まりて治まる。どうでもこうでも道であろう。道々にふしあって、よう聞き分け。さあ、よう聞き分け。もう、どうなるや知れんこうなるや知れん、皆思う日はあった。楽しんで、それ/\楽しんで/\、これを一つ聞き分けてくれ。さあ/\悪い処日を経ったなら、楽しみの理である。一代と言えば頼り無い道である。なれど、末代という理が楽しみの道である。さあさあ楽しみ/\。これをよく聞き取ってくれるよう。
【説明】
(1) 上原ミツ姉 上原伊助(笠岡大教会二代会長)夫人。 当時笠岡は財政的に困難な状態にあったが、このおさしづをいただいて「踏留志金」が役員間で決せられ、これによって窮迫していた笠岡の財政も、徐々に緩和されたと言われている(「天理教笠岡分教会史」参照)。 (2) どうなるかわからない道の中に、どのような事情も尋ね出るが、尋ね出る道筋には、どんな難しい事情でも解決する一つの道理もある。しっかりここで踏み止めてくれるよう。まず、この理が治まったら、治まってくる。どんな中でも、ついてきた道であろう。しかし道々にはふしがあって、どうなるかわからないと心配した日もあったであろう。しかし、よく楽しんでくれ。苦労したあとは楽しみの理がある。一代限りと思えば心細いかもしれないが、この道は末代のものである。その理を楽しんでくれるように。
【摘要】
教会史を読ませていただくと、ほとんどの大きな教会は一度二度と、厳しい財政的な窮状を通りぬけて来ている。教会が財政的に困難な事情に面して、直接その問題についておさしづを仰ぐということは、非常に少ないようである。しかし、そのようなのっぴきならぬ苦しい事情の最中にあって、身上を通して会長、あるいはその家族、また役員などにおさしづを頂いているのが、かなりある。すなわち、そのおさしづに基づいて理に徹しきるところから、当面する教会の財政上困難な事情も解決を見、また身上のご守護もいただくという場合が多い。本項では、既に取り上げられているおさしづを除いて、いくつか教会史に照らして取り上げさせていただいた。  それらのおさしづの内容を要約させていただくと、 (1) 先案じせずにたんのうして通らせてもらう (2) たすけ合いの心で一手一つに心をつなぐ (3) 大きな心になって将来を楽しんで通る (4) どうなってもという一つの心(踏ん張る心)を治める (5) 運んだ理のこうのうは末代の理であると悟る このようなことが大切であると教えられている。

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