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橋本清の演説を筆記として発行の『天理教会の内幕』という雑誌その筋へ送りしに付、神道本局より一月六日までにその個条々々毎に答えして差し出すように申し来たり、就いては松村吉太郎、山中彦七上京出局の願

さあ/\尋ねる事情/\、何処からどういう事始め掛けるやら知れん/\。大き取れば大きに取れる。小さく取れば何もならん。年限から伝えたい/\。伝えたいなれど道理無い。未だ/\とんと道理分かり兼ねる。一寸思てみれば詰まらん奴や、詰まらん奴やと思う。何処から何処まで知らん者無いようになるは道である。この道始めようとて、なか/\通りた道やない。これまであちらで半分、こちらで一分すっきり分からん処がある。この道理埋もれ切ったる/\。どういう処からどういう事始めるやら知れん。そこで一つ怖わいと思えば怖わい。楽しみと思えば、何ぼの楽しみやら知れん。取りようでころりと理が違い、どうでも立てようと思えば、皆の精神一つ。怖わいと思えば怖わい。大き取れば何ぼうでも大きなる。大きなる道知らしてある。夜にも早う急いで出るがよい。心配は要らん。要らん心配してはならん。尋ねる事情に、弓という理諭す/\。弓という理、心に治めて行かにゃならん。多くの中、力無い者に力出そうと言うた処がならん。そこで多き処多く、万人の者に一つの力の理を以て防がにゃならん。一時に成ると思うな/\。どうで何たる事という理も諭したる。一日の日あると言うたる。楽しんで行けば楽しみ、よう心に治めて行かにゃならん。何とも無くば何とも無い。

今日から出立さして貰います
さあ/\行って来い/\。万事の処どういう処尋ねるやら分からん。尋ねたら心という理を以て、多く処いろ/\理以て防がにゃならん/\。無い道始め掛ける。怖わいような事は無い。怖わいような心で、末代という道通れん。百年先の道、今日始めるも同じ事。この心持って、臨機応変と諭したる。万人の中一人以て防ぐは神の力、神の理。
【説明】
(1) 橋本清氏は前掲のおさしづにある通り、本部にあって活躍した人であるが、秘密訓令後変心し「天理教の内幕」という講演筆記の冊子を発行した。これを内務省へ送ったので、本教は教内外の誤解を受けることとなり、内務省は神道本局へ質問し、本局よりは本教教会本部へ糺してきた。本部では役員会を開き上申書を作製し、それを携えて上京せしめるべく神意を伺った。 (2) 今回の事件は怖いと思えば怖いことになろうし、大きくとればいくらでも大事件になる。こんな中どうしたらよいか、これまでの事情を通して知らしてある。今夜中にも急いで出向くがよい。心配はいらぬ。心得としては弓を射る時の心のあり方、すなわち無念無想、無私無欲の心境で事に臨んでもらいたい。 (3) さあ行ってこい、行ってこい。どういうことを尋ねるかわからないが、どんな場合も天の理を定規として防がねばならぬ。紋型ないところから、この道を始めかけたのである。怖いことはない。怖いような心では末代という道は通れない。百年先の道を今日始めるのも同じことである。この心をもって臨機応変に処置してくれるよう。万人の中を一人で防ぐことのできるのは、神の力、神の理の働きを置いてほかにない。
【摘要】
おさしづには出張、派出、巡教、巡回など、外へ出向いていくについての伺いが割合多い。出張に関しても対外的出張と対内的出張とに分けることができる。体内的とは教内・教会先々への出張である。  さて「教外出張」として扱う対外的出張でおさしづに多いのは、明治二十一年の東京仮本部設置に当たっての上京伺い、また神道本部局への出張、および明治三十二年より始まる一派独立運動のための出張である。ところで、ここに事例として挙げたおさしづは個々に、それぞれ問題点を含んでいるので一括して要約することは難しい。むしろ個々のおさしづに現れた、それぞれの神意を理解することが適当であると思われる。教外出張に当たっては、信者取締りもあれば、事件解決のための出張もあれば、地震や火事見舞いもある。  滋賀県下信者取締りに出向くに当たっては、生涯末代の理をつくらせていただくという心構えでいくよう(二二・一二・一四)仰せられ、濃尾大地震には、早く運べ、真実を受け取る(二四・十・三一)、伊勢火事見舞いでは、道の理は誠心よりない。誠心のつくし合いが肝心だ(三一・五・二四)と、心の持ち方を注意されている。  信者が拷問を受けた金山事件には、仇も皆神の子供であり、兄弟の中の刃物三昧で一人でも傷つく者を出してはならぬと告訴を中止された(二六・六・二三および二七)。  浪花新聞の本教誹謗に対しても、子供が物をほしがるようなもので、道の者は「明日やる拵えてやる心ばえ」で通るよう。そして元のぢばに元のをやが踏ん張っているから理が伝わるのであり、心配はいらぬ(二八・一・四)。橋本事件については「万人の中一人以て防ぐは神の力、神の理」と、親神の親心あふれる神意と、ご守護の絶大さを示されている。  所詮、人間は親神のふところ住まいをしているのであり、この世は神のからだである。  対外的難問題に対処する場合も、このことを心に置いて立ち向かっていくことが肝要であると思われる。

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