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中津支教会長泉田の身上の処おさしづあり、それに付運び方なり又役員の治め方に付、喜多治郎吉出張する願

さあ/\尋ねる事情/\、出越す処許し置こう/\。又諭す処ある。十分諭してやってくれ。所始め掛け/\。国々遠く所、今の一時やない。中に成らん処尽し運び、なか/\の理、又一つめん/\心理がとんとどうもならん。その場はよい。なれど、めん/\心理がどうもならん。そこで、この度身上にとんと障り付けたる。どういう道か、道聞き分け。中に遠い所/\、それからそれ中に精神から出けた道理。幾年通り、幾年通りてもどうもならん。しっかり改め変え。皆の中/\順序委せ置く/\/\。めん/\楽という。身から、どんと心定めにゃ定まらん。何かそうや/\心持つよう諭し置こう。身上の処案じる事要らん、と言うてやるがよい。

続いて宇佐に行く事願
さあ/\尋ねる処/\、先々の処、まあ随分々々、万事心掛け/\、崩れてから道容易でいかん。一時尋ねる処、諭し第一である。さあ許す/\。
【説明】
(1) 泉田氏は大阪天恵四番の信者を主だった人々に任せ、命じ二十三年十一月大分県中津町へ到着、布教して二十六年一月中津布教事務取扱所を設置した。当時中津の役員間は心うちとけず、泉田氏の剛毅淡泊、親分肌で何事もぐずぐずしていることが嫌いという性格の人柄の許にあって、なお聞き分けのつかぬ者もあった。賽銭まで我が家に持ち帰りするものもあり奥田氏は手を焼いていたという。明治三十三年泉田氏が身上障りをいただいた。顧みれば泉田氏は明治十年胃癌で入信以来のことである。その運び方、また役員の治め方について喜多氏の出張となった(「大分市支教会史」参照)。  ちなみに、このおさしづをいただいてのち中津の役員一同は、ねり合いをして精神が定まり心の入れ替えができたのか、奥田氏の身上は健やかとなった。 (2) 随分遠い所に道をつけ、ならん中つくし運び、ご苦労である。十分重い理を受け取っている。ところがお互いに心が合わぬということは困ったことだ。そこで泉田会長の身上に障りをつけたのだ。この道はどういう道か、聞き分けてもらいたい。精神一条からできた道理である。  幾年道を通ったといっても、精神ができていなければ駄目である。しっかり心を改め変えてもらいたい。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。

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