おさしず検索


清水与之助、会長を富田伝次郎へ譲り、兵神分教会信徒一同より清水の居宅を建てることに付、兵神三島事務所と清水居宅と一所にして宜しきや、又は清水居宅別に建家する方宜しきや、将来心得願

さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる事情は、さあ/\一つ始めて、事務所という始め掛け。だん/\事情、年限道理から経ち切った古き事情、まあ道理上諭そう。同じ一つ地所という、同じ理なら親里という理を諭し置こう。又、そうやなあと言えば委せ置こう。道理から聞き分け。親里という道理、これしっかり聞き分けて、ほんにそうやと聞き分けてくれ。
【説明】
(1) 兵神では神戸や兵庫より帰参する信者を迎えるため、おぢばに明治二十九年二月詰所を建築した。清水兵神初代会長は明治三十二年身上伺いのおさしづ後、本部勤め専一となりぢばへ引っ越した。翌三十三年一月七日と八日のおさしづにより、いよいよ会長を辞任し、富田氏が二代会長に就任した。ついては清水氏居宅をどうするか、詰所と一緒の所とするがいいか、別に建てるがいいかを伺う。このおさしづに基づき別に居宅を建築した。それはその年の七月に竣工した。清水氏は新居に住み本部勤めに専心した。 (2) 信者詰所というものは、帰参信者の増加に伴い建てられた古い事情がある。兵神詰所は明治二十九年に建てられてあるので、その同じ地所とはいうものも、本部勤めに専心する清水初代会長居宅を詰所にするか、別に新築するかと尋ねているが、親里という理をしっかり聞き分けてくれ。その上でお前たちが、なるほどなあということにならば、お前たちの考えに任せておく。しかし親里という理合いを、しっかり聞き分けてもらいたい。
【摘要】
本部の地所に関するおさしづを通覧すると、次のような点に神意が現われている。 (1) 神のやしきの地取(範囲)は、既に神意として定まっているということ。かねがね教祖は「八町四方は神のやかた、奈良初瀬七里は宿屋ばかり」と仰せになっており、遠大な親神の思召しが着々実現されていくことになる。 神のやしきの地取りはすでに定まっている (明治22・10・20) 縄を張って何間何尺定めたるようなもの (明治26・6・13) 元のやしきへ成って来る (明治23・4・24) 年限だん/\重なれば八町四方になる (明治27・11・17)    というようなお言葉に、そのことがうかがえる。 (2) 道の子供たちが親神を慕って帰って来るぢばであるゆえに、広い地所が必要である。教祖十年祭を迎えるに当たって教祖殿建築につき伺うと、  親の内は地所さい広がりたら十分。子供戻るぢば無うてはどうもならん (明治28・3・10) と言われ、これより詰所がぢばに建築され賑やかとなる、広い地所を神はお望みである。  広く要る/\、急くも神、抑えるも神の働き (明治22・8・18) (3) おやしき拡張のための地所買い入れは、申すまでもなく親神の親心によってご守護をいただくのである。  地所集め掛けたる処、大抵々々もう少しの処、直きに集めさして了う (明治28・11・14)  道の理運んで万事の処心さえ持って働きさえすれば、どんなことでもさしてみせる (明治33・4・20) (4) おやしき拡張整備のための土地購入は急いではならぬ。年限によってご守護をいただくのである。  年限という処から、ぼち/\掛かれば成る (明治34・2・10)  成程という処から何でも及ばす。年限の理を持って及ばす (明治32・1・15)  大木の大きくなるようなもの (明治28・8・19) また、旬がくれば口を開いたように、鮮やかに順調よくご守護をいただく、とも言われる。教祖五年祭(明治二十四年)を迎えるに当たって、その前年のさしづには、 広くぢばが要る。要るというて前にも諭したれど、やしきの取りようもないと思うやろう。なれど一つ口が開けたら皆寄り来るであろう。(中略)仮家普請差掛普請、一寸始め掛けた (明治23・6・21)    それは日覆いを取り除けるようなものだと言われている。 (5) 土地買い入れについての人の心の在り方はどうであればよいか、と言えば、この点については、  大層々々は受け取れん。大層してはたすけ一条何もならん (明治33・3・16)  かけ合いなら何時でも許し置く。尋ねるまで。大層の処世界にも成らん (明治32・1・15) しかも大切なことは、各人の発意によるものであって、無理なことは神は受け取れぬ、と言われている。  運ぶ尽くす理は受け取る。(中略)しようまいと思たて、出来掛けたら出けるで (明治25・6・20)  何にも進めるやない、頼むやない (明治22・10・23)  いずれ広くならにゃならん。(中略)人の心によりて心一つ成るものや (明治34・11・13) ――親神の深い思惑によって、親神のご計画が着々実現されつつあることに間違いはない。かつ、道の普請(建物の場合)は仮普請で、更に将来へ向かって発展する一過程における普請であることが特徴的で、道の子供たちの勤めは、一日も早い親神の思召し実現に努力することである。  先々育てて成人したら、どんな所からどういう事出けるやら知れやせん (明治28・11・14) と、非常に子供の成人に期待をかけられている。そのご期待に応えるには、どのように努めればいいか、この点が最も肝要なところであろう。

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