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畑林やす身上願

さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上一時迫る。どういう事であろう。一時事情尋ねるからさしづを願う。事情身上迫る処、一つ危ない、怖わい、怖わいようのもの。これまで年限の事情によって、一時一つこうという理の分からなんだ。一寸治まり、それより一つ事情。身上から切なみ、又こうなればどうと思う事情尋ねる。大層のように思う事情、一時思う処案じるであろう。これから/\これから先は、道という理という、心に持って、未だ長い。よう聞き分け。いかな事情と思う。一つ成っても成らいでも、成らいでも成っても、一日の日を頼り、楽しみとも言う。未だ未だこれから先は長い、とも言う。十分とたんのう。これを早く映してくれ。一日の日でも十分とたんのうを見たら、これを早く治めてくれるよう。
【説明】
(1) 畑林やす姉 畑林為七氏(南海大教会二代会長)夫人。 二代会長時代の南海は、十年にわたる会長の妻の身上が台となって、分教会内部も治まり負債の整理もついたと言われている(「南海大教会史・第二巻」参照)。 (2) まだまだ多額の負債はあり、なかなか大層のように思い案じるであろうが、この道は末代の道であるから、長い心を持って、成っても成らいでも、元一日の理を頼りに楽しんで通るよう。まだまだ身上を迎え取るのではない。長い心を持って、どんな中でも通りぬけてくれ。十分たんのうしてくれ。
【摘要】
教会史を読ませていただくと、ほとんどの大きな教会は一度二度と、厳しい財政的な窮状を通りぬけて来ている。教会が財政的に困難な事情に面して、直接その問題についておさしづを仰ぐということは、非常に少ないようである。しかし、そのようなのっぴきならぬ苦しい事情の最中にあって、身上を通して会長、あるいはその家族、また役員などにおさしづを頂いているのが、かなりある。すなわち、そのおさしづに基づいて理に徹しきるところから、当面する教会の財政上困難な事情も解決を見、また身上のご守護もいただくという場合が多い。本項では、既に取り上げられているおさしづを除いて、いくつか教会史に照らして取り上げさせていただいた。  それらのおさしづの内容を要約させていただくと、 (1) 先案じせずにたんのうして通らせてもらう (2) たすけ合いの心で一手一つに心をつなぐ (3) 大きな心になって将来を楽しんで通る (4) どうなってもという一つの心(踏ん張る心)を治める (5) 運んだ理のこうのうは末代の理であると悟る このようなことが大切であると教えられている。

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