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教校資本金を募集御許し願

さあ/\理の尋ね、落ちを尋ねる。尋ねる理落ちたる理という。立ったる日であろ。どうなりこうなりこれでよかろ、集まりてよう/\の事であろ。大きい事は要らん。大きい大木は末は傷む。枝は傷む。小さい処から、今年は何寸延びた/\楽しむ。神の道から出たもの。どれ倒そう、どれこかそうという事は無いで。しっかり/\。

三十三年四月一日天理教校開校式執行に付御許し願
さあ/\だん/\尋ねる事情/\、何かの事情も尋ねにゃなろまい。順序の道である。道という、一条の道に集まってある。時という旬という、成るように成って来る。一時々々知らす事出け難ない。一寸伝えて置く。一点を打ちしっかり聞き取りて、それ/\へ伝えにゃならん。道の上の世界という。世界道理も無けにゃならん。その理の成って来る元が無けにゃならん。その元を心に含んで、無けにゃならんものは無けにゃならん/\。くど/\返やし置く。応法世界の理は心に持って、道は一つやで/\。成るも道成らんも道、成って来るは道、ぼつ/\が道。最初から大きなものは無い。大きなものは末は枯れ掛けたるようなものや。ぼつ/\掛かるがよい。

奉告祭神前にて執行願
さあ/\尋ねる処、代々道という、理という。道から一つ始め掛け/\。それより順序始め掛け/\。
【説明】
(1) 大きな事を考えることはいらん。大きい木は枝先が痛んでくる。小さい木であれば、今年は何寸伸びた、また何寸伸びたと言って楽しめるように、小さいところから始めかけたら、楽しみがあるだろう。すべては神の道から出たもので、どれを倒そう、どれをこかそうというものはない。しっかりするよう。 (2) 天理教校は、天理教教師の養成を目的に、高等小学校修了を入学資格とする四ヵ年制の学校として、明治三十三年四月一日開校された。校舎は北分教会出張事務所を仮校舎とする。校主中山新治郎初代真柱、、講長山中彦七氏。 (3) 道の上でも世界並みの心でいる者もある。世界の道理も考えなければならないが、この道の仕事には、その理の成り立ってくる元がある。その元をよく心に治めて、なくてはならないものはなくてはならん。くどく繰り返しておく。応法の道、世界の道は心に持っておいて、神一条の道は一つであることを心に治めるよう。成るも成らんも、みな神の守護による。成り立ってくる道はぽつぽつとできてくる。初めから大きなものはない。大きなものは枝先が枯れるようなものであるから、ぽつぽつかかるがよい。
【摘要】
教育の問題では、一、教育施設についての問題と、二、個人の教育に関しての問題とに大別できる。 一、 教育施設についての問題については、本教の教育施設の嚆矢は明治三十三年四月一日に開校した天理教校であるが、おさしづには先に挙げたように、この天理教校の設置、資金募集、開校式、校舎新築などについての一連のおさしづがある。これによって学校設置、教育についての神意は、おおよそ次のように考えられる。 (1) 学校は一時応法の道として許そう。 (2) この道の仕事は、みなその理の成ってくる元がある。それは、すべて神の思惑から出たもので、神一条の順序の理によって、すべて成ってくる。神の思惑を悟り、人間思案に流れず、応法の道は応法の道として心し、あくまで神一条を忘れぬように。 (3) 皆寄り合って心を揃え、面白く楽しくやるように。皆喜んでするなら、どんなことも日々神が連れて通る。 (4) 校舎は初めから大きいことは考えないように。初めはざっとした間に合わせのもので、雨露さえ凌げたらよい。小さいところから、ぼつぼつしていけば、そこに楽しみもある。 (5) 教育にあったては、できるだけ多く教理を聞かし、どの子供もこの子供も皆、道の柱となるように仕込むように。しっかり仕込んだら、それだけ働きのできる道になる。 二、 個人の教育に関しての問題については、そう多くのおさしづはないが、その中から要点を拾ってみると、次のように考えられる。 (1) 道の者が教育を受ける場合、どこの学校に行くかは、それぞれの思うところに任せる。 (2) 学問のあるものを重宝がる傾向があるが、お道では学問のある者もない者も同じことで、皆めいめいが道の理を積むことが大切である。道の上の仕事は、皆同じ理である。 (3) 道の者は何事も一般のことは、ほんの一通りできたらよいので深くはいらない。大切なのは道の仕込みを、しっかりすることである。 (4) 学問の道もしばらくはよい。道の者は、その短い期間を三倍にも値するように、精出して励むことが望ましい。

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